息継ぎをして夜を泳ぐ

煙草を吸う。アイスを食べる。好きなアイドルの歌を聴く。涙が出る。漫画を読む。涙が出る。かなしくないのに、かなしくて、涙が出る。虚しくないのに、虚しいような気がして、涙が出る。わたしは今、二十三歳で、もう子どもとは言えないのに、大人なようで大人でない、不思議な年齢だ。幼くも、成熟してもいない、ただ、若さの真っ最中にいる。ポジティブな意味での"若い"という言葉は、社会があらゆるかたちで作った規範意識のようなものだろうとは思いながら、生きてきた年数分のなんとも言えない中途半端さは確実にあって、ふいにその未熟さと不安定さを持て余す。年齢を重ねて、時間が経っていけば、涙はそのうち出なくなるだろうと勝手に思っていた。けれど、二十三歳、まだまだかなしくて泣くし、つらくて泣くし、理由がなくても涙が出るときがある。なぜ自分がこんなに泣いているのか、自分でもよくわからない。そういう夜もある。

煙草を吸う。歯を磨く。玄関の花の水を替える。少し面倒に思いながら、テーブルの上の花の水も替える。ピンクのリモニューム。薄いピンク色のものを久しぶりに見た気がして、週末、駅前の花屋で思わず手に取って買った。花の水の入れ替えは億劫になることもあるけど、こういう作業を愛していたいと思う。いつも通り、ピルを飲む。錠剤を水で流し込む。二十三時半を過ぎたくらいだったけれど、布団に入る。なにが自分をこんなにだめにしているのか、ちゃんと考えるのがこわくて、目を瞑る。

やりたくないと思うことをやった。夕食を作ること。本当はお弁当を買って帰りたかったけど、スーパーに寄って食材を買い足して、ちゃんと料理をした。スーパーに行くことに気を取られてクリーニングを受け取りに行くのを忘れた。思えば、朝も電車を乗り過ごした。コンビニでいつもは買わない方のカフェラテを間違えて買った。何かに集中しているようでいろんなものを見落とし続けている一日だった。

手放したい、と思うときはきれいなダムのことを考えるようにしている。いつかひとりでそこに訪れることを想像する。もし本当に行ったとして、なにをするかはそのときにならないときっとわからない。でも、いつかそこに行くだろう、そう思うことで、こういう夜をやり過ごせる。息継ぎをしながら、泳いでいけるような気がする。