2022年 映画のはなし

今年、観られてよかった作品を振り返る。

映画は去年に比べて数は全然観られていない。でも、映画館には、仕事がある中で行けていた方だと思う。今思うと、新しい生活やこれまでと全く違う人々との付き合いに翻弄される中で、自分のかたちを保つために映画館に通っていたのかもしれない。11月後半以降は引き籠っていたので何も観ていない。それより以前に観ていた中で、今でも強く印象に残っている作品たちについて、思い出してみる。

 

今年日本で封切りになった映画で観た中では間違いなく一番良かった。劇場公開時と早稲田松竹での上映で計2回観たが、2回観ても良かった。良かった、と言う言葉が粗末に感じるほどには、良かった。

親と子ども、大人と子どもというのは健全な関係を結ぶのが最も難しいように思う。絶対的な権力勾配の中で、子どもの心を損なわずに、かれを軽んじることなく、ひとりの意思ある人間として尊重して向き合うことは、途轍もなく難しく、愛や情や血縁だけではどうにもならないだろう。この映画の素晴らしいところは、その困難さについて描きながら、それでも、子どもを尊重の対象として愛を持って描き切っているところだ。私はその信念に心底共感するし、それ故に今年のベストムービーなのだと思う。

私は自分の子供を欲しくないと思う人間だけど、今生きる子どもたちには幸せになる権利があって、その権利を守れる大人になりたいと思っている。子どもやかれらの教育機会は、度々、かれらが望まないところで周囲の大人によって損なわれる。大人の影響から逃れて自立することは難しく、その人生の有り様が左右されてしまうことがある。私は、そういうことをできるだけ防ぐために動きたいし、自分では選べないものたちに囲まれたかれらを支援する大人でいたいというのが密かな夢だ。夢で、目標で、信念だ。子どもの"選べなさ"を理解した上で、かれらを損なわずに尊重したいと思う私とジョニーは重なって、より私をこの映画に引き込んだと思う。その困難さや、その困難さを受け入れトライし続ける劇中の大人たちの苦悩と挑戦は胸を打つものであったし、ジョニーとジェシーの対話はただただ愛おしく、あたたかくて、涙が出た。ずっと観ていたかった。1回目も2回目も、マスクをびっちょびちょにしながら観た。

 

思ったよりカモンカモンの感想が長くなってしまって、もうこれ以上書き続けるのが億劫になってきている。でも、今年観た映画を振り返っていたら、私にとってすごく重要な区切りのきっかけになったこの作品を年の始めに観ていて、入れないわけにはいかなかった。

長らく、家族、特に親、特に母親との関係性に消化し難いものを感じていて、去年の暮れ近くにそれが爆発した。内定先の研修やら卒論やらと多忙を極めていたのもあるが、夏頃に彼女から届くようになった反ワクチンの内容の連絡がそもそものきっかけだったのだと思う。それは、彼女についてずっと抱えていた苦痛とその記憶を思った以上に刺激していて、もうやり過ごせないほど辛くなってしまったと気づいたときには、完全に調子を崩してしまっていた。メンタルクリニックとカウンセリングに通い、彼女との記憶をイチから掘り起こして苦しんで、掘り起こして苦しんでいたのが年始から三月頃まで。この「東京物語」を観たのは二月の半ばだった。

以下、印象的だったシーンの台詞起こし。(句読点は字幕にはないもの)終盤、母親が亡くなったあと、自宅にて、末娘の京子と義理の姉の紀子が話すシーン。杉村春子演じる「お姉さま」は亡くなった母に手を合わせると、すぐに形見の着物が欲しいと話をする。

 

京子:お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて。あたしお母さんの気持考えたらとても悲しゅうなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子ってそんなもんじゃないと思う。

紀子:だけどねえ、京子さん。あたしもあなたぐらいの時にはそう思ってたのよ。

でも子供って大きくなるとだんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまぐらいになるともうお父さまやお母さまとは別のお姉さまだけの生活ってものがあるのよ。

お姉さまだって決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。

誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ。

京子:そうかしら。でもあたしそんな風になりたくない。それじゃ親子なんてずいぶんつまらない。

紀子:そうねえ。でもみんなそうなってくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ。

 

以下、Filmarksに投げた感想。

 

親子という関係は絶対に交わりを解くことができない互いの人生に不可分な関係として解釈されがちだけど、本当はちゃんと交わったのはあるいっとき 大人になっていけばいくほど、自分にしか切り拓けない人生と生活が自分が抱えるほとんどになる お姉さんのこと、観ていてすごく嫌だったけど、あの人はちゃんと自分の人生を生きている人だ、とすごく思った いまのわたしに必要な映画だったので観て良かった

 

親子はずっと親子ではあるけど、その関係をよいまま続けることに拘らなくてもいいのかもしれない、とやっと思えてきたのはこの映画を観たことが大きい。親と子と言えど、全く違う人生がそれぞれにある。私は、母と親子である人生ではなく、私だけの人生をちゃんと生きることでしか、この苦痛を手放せない。だから、母とは関係のないところでちゃんと自分の人生を作ろう、と思えたことで、少しずつ気持ちが回復した。

妻を亡くした義理の父と紀子の後ろ姿。舞台となる尾道の風景もとてもよく、いつか行きたい。

奇しくも「カモン カモン」の監督マイク・ミルズ小津への憧れから今作をモノクロで撮影したと知ったときは驚いた。「東京物語」で描かれる、フィクションで描かれがちな所謂"想的な家族"ではない(現実的)家族の在り方、その捉え方の価値観が私を慰めて支えたように、「カモン カモン」も、私の家族に対する容易に消化できないさまざまな想いや考え、記憶や感情を肯定して慰めてくれる大事な作品になった。同じ年にこの2作品に出会えたことは、私にとって、これからの私の人生にとって、とても大事なことだったと思う。よい出会いがあってよかった。映画を好きでよかった。

 

シャンタル・アケルマン特集。流行りのコロナに罹ったせいで上記含めた2作品しか観られなかったのが惜しい。とても惜しい。

濃密な198分だった。間違いなく2022年最高の映画体験だった。こんなジェンダーロール映画が他にあるか。同じ角度、同じ配置と構造で繰り返される動作に少しずつ綻びが出て、その綻びがあの壮絶なラストを示唆する。最後の数分は息を詰めて観た。

来年に早稲田松竹でやるみたいなのでもう一度観に行きたい。

 

2Kレストア版に賛否はあるようだけど、この破壊的に美しい色彩を小さな液晶でなくもう一度スクリーンで観られるなんてそれは最高だろうと思って、久しぶりに観に行った。大学二年かそこらのときに観たよりもずっと面白かったし、当たり前だけど画面が最高だった。美しい色彩と繰り返される詩のような台詞、アンナカリーナの奔放で力強い眼差し。初めて観た時に全身が沸き立った感覚を思い出した。残念なのは人生は物語(ロマン)じゃないということ、という台詞を終わったあともずっと覚えていた。以下、鑑賞した日にTwitterに投げていた感想。

 

大学二年になる春、初めて「気狂いピエロ」を観てから、私は美しい映画の虜になったんだと思う。ヌーヴェルヴァーグの映画たちに出会うきっかけになった映画だった。

ジャン=リュック・ゴダール、どうか安らかに。

 

 

上記4作品以外にも、今年観て良かった映画たちについて、少しだけ記しておく。

 

・「やさしい女」ロベール・ブレッソン (1969)

劇中、彼女の笑い声は聞こえても笑顔は一度も映されなかったのに、ラスト間際で少しだけ微笑む表情が映されて、それにぐっと胸を掴まれたような気持ちになった。誰かが感想で、ブレッソンは人の笑顔を信用していない、と書いていて、そうだとしたらその価値観は信頼できるなと思った。

大きくはためくカーテン、強風に煽られて倒れる机と滑り落ちる鉢と土、青空に舞う白いストールまで完璧なカットの組み合わせだった。あのシーンだけでも何度でも観たい。時々はっとするような配色のカットがあっていいなと思っていたら、ジャック・ドゥミの「ロシュフォールの恋人」と同じ撮影監督らしい。同じくブレッソンの「たぶん悪魔がで爆睡したので心配してたけどとても好きな映画だった。

 

・「ハケンアニメ!」吉野耕平 (2022)

物語に救われたことのある人間全員に刺さる映画。やりがい搾取映画という批評も割と散見されるし、実際の現場で働く知り合いから聞く製作現場の労働実態の話からもそれは間違いないのだろうと思う。でも、この映画が見せるアニメという物語が持つ力とその熱量に胸を熱くせざるを得なかったので、今回その批評は一度置いておきたい。ごめんなさい。

斎藤瞳がその人生を一本のアニメに変えられてしまったように、私も物語に人生を救われて、今なお救われ続けている最中の人間だ。だから、一本のアニメに救われた彼女が、そういうアニメを作りたいと思う彼女が、近所の男の子に『サウンドバック』を観せるシーンがめちゃくちゃに良すぎて涙が止まらなかった。自分がそうやって物語に出会った瞬間を思い出して、込み上げてきたものに叫び出したいような気持ちになった。私の人生を支えてきたものたちのことを思うと、それが似たような思いを抱いてきた人たちから届けられたものかもしれないと思うと、堪らなかった。

全ての物語の製作者のみなさん、いつも本当にありがとうございます。私は結局つくる側の道は選ばなかったけど、物語があるおかげで、今日もこうして生きていると、本当に心の底から思います。

 

「大人は判ってくれない」フランソワ・トリュフォー (1959)

奇しくもこの映画も大人と子供の映画。とてもおもしろかった。ラストの引きの疾走シーンがすごく綺麗だった。特集をやっているうちにドワネルものをいくつか観るはずだったのだけど多忙により叶わず。ぜひ来年もトリュフォー特集をやって欲しい。ヌーヴェルヴァーグの中で言えばかなり好きな方だと思う。

 

ウォン・カーウァイ特集で観た3作品「花様年華」 (2000)「恋する惑星」(1994)「ブエノスアイレス」 (1997)

映画たのしー!!と手を叩いて踊り出したくなるような映画だった。私はグザヴィエ・ドランのオタクなのだけど、彼にハマり始めた時と似た感覚だった。美術と衣装が美しい映画はやっぱり楽しい。ドランもだけれど、ウォン・カーウァイも総合芸術としての映画の面白さが詰まっていて最高だった。もう一度映画をちゃんと勉強し直したい。パンフレットもボリュームがあって、映画のキャプチャーショットのページのクオリティがすごくて、とてもよかった。

 

・「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」高橋渉 (2021)

クレヨンしんちゃんの映画がいいと気づいたのはここ1年ぐらいのことだ。本当に気づけてよかった。これもボロボロ泣いた。私は風間くんのあの切実な不安がよくわかる。大好きな友達と、ずっと変わらず友達でいたいよね。でも、いくら不変の友情を今信じることができたって、否応なしに私たちを取り巻く環境は変わっていく。年齢を重ねていけばいくほど、考え方や価値観が変わって、きっと今とおんなじ関係でいることはできない。それはすごく怖くて不安なことだ。焼きそばパン競争のラストパートを駆け抜けながら、風間くんはしんのすけに訴える。「いつかみんなバラバラになっちゃうんだ!」「新しい友達がどんどんできちゃうんだ!分かってるのかよ!」対してしんのすけは、こう返す。「オラ今しか分かんない!」確かに環境の変化も時間の経過も関係を変えるかもしれないけど、でも、できるならしんのすけのように今だけを見つめて、この友情が続くことを信じたい。信じていたい、と強く思う。