かたち

パンと水だけでは生きていけない。わたしにはやはり物語が必要だった。

自分のかたちがわからない。毎日一生懸命一生懸命一生懸命一生懸命やっているのに、仕事が終わるのは早くても20時を過ぎる。毎日9時間10時間を超える労働をしている。会社に遅くまでいるのは苦痛じゃない。残業がつらいわけじゃない。(自分の仕事に必要なことしかやっていない。)業務に追われてがむしゃらにそれをこなしているとき、わたしはわたしの輪郭を失っている。このところ、わたしはなにも考えていない。なにも考えられていない。つらくない。かなしくない。でもうれしくもないし、楽しくもない。ただただ毎日が激しい通り雨のように過ぎてゆく。そのくせ、一週間が過ぎるのはスローモーションのように遅く感じる。金曜日、ふと振り返ると月曜日が一ヶ月二ヶ月前に思える。ただ、仕事をするためだけに生きていて、わたしの魂や意志や感情が置き去りになる。漫画を読んで泣いたとき、懐かしいようなかんじがした。それがとてもとても恐ろしかった。

分厚くて生温い雲に全身を包まれるような夜の中を、ただ帰ることだけを考えて歩く。同期のことはきらいではないけど多分すきでもない。金曜夜の飲み会には、開放感ではなく各々の疲労が散らばって床に沈んでいる。勝手にしんどい比べをしているように感じてしまって嫌な気持ちになった。たぶん、わたしに余裕がない。

会いたい人に会いたいけど、仕事の話ばかりをしてしまいそうで、そんな自分がいやだ。わたしは仕事でできているわけじゃない。わたしはもっと、物語の話がしたい。わたしは、物語によってわたしの形を知りたい。さもえど太郎の漫画『Artiste』2巻のカトリーヌの台詞を思い出している。わたしは、パンと水だけでは生きていけない。日常の生活にちゃんとわたしの心動くものがあると覚えていたい。

竹村和子が書いているように、わたしたちは「物語」を通して自分と世界を認識し、理解している。わたしはあの序章の文章がすごく好きだ。今、わたしのかたちを丁寧になぞる時間がとても欲しい。

 

わたしたちは何らかの「物語」なしに、自分の感情を感じることも、自分を把握することも、行動することも、何かを理解することも、他の人々との同意を得ることも、あるいは誤解、決裂することもできない。(竹村和子『愛について アイデンティティと欲望の政治学』)