荒地に手向けの花束を

無秩序な感情たちが暴れ回ってゆっくりと憂鬱の形になっていく。わたしは布団に臥せる。毛布を抱き締めて、目を瞑る。朝の新しくて眩しいことの、なんてつらいことか。この途方もないしんどさ。ずっと、わたしの気が済むまで今日が終わらないでいればいいのに、と思うけれど、思ううちに今日は終わって、明日の幕が上がる。わたしの気持ちを置き去りにして、何もかも、前へ進んでゆく。朝になって、目が覚めて意識が覚醒してくると、まず、胸の底の重たい憂鬱と目が合う。そこにそれがいることを思い出す。最悪な気分だ。呼吸が浅くて、少しくるしい。身体を横向きにして、壁を見つめる。深く息を吸いながら、どうにか思考を空っぽにしようと試みる。それしか、抗う方法がわからない。

先週の金曜に病院に行って、休職が決まった。月曜に引き継ぎを済ませ、火曜から休みに入っている。そして休職三日目の今日、わたしは二十四の誕生日を迎えた。

大好きな親友にも会える気がしなくて、泣く泣く予定を断った。お気に入りのお店のコース料理。同期とのディズニーも、先輩とのご飯も。すごく楽しみにしていたのに。でも、いますぐに外に出たり、人と会って長時間話したり、元気に振る舞うことは難しそうだった。

この事態について、筋道を立てて説明するには恐らくまだ時間がかかる。わたしはずっと混乱していて、自分が置かれている現状について、自分の身に起きていることについて、未だ飲み込めないでいる。

きっと同僚が同じような状況になった時、自分はその同僚に対してそんなふうには絶対に考えないし、むしろそうすべきでないと諭すだろうと思うけれど、今はどうしても自分を否定して責めずにはいられない。真っ先にそういう言葉が思い浮かんでくる。こうなってしまった自分があまりにも受け入れ難い。励ましや労りや慰めや説得の言葉が全部、素通りしていく。わたしの中に残らなくて、なんだかそれも猛烈にわたしをむなしくさせる。また、毛布を抱き締めて目を瞑るしかない。自分に優しくしなきゃ、と思う。痛めつけていても、なりたい自分の形になれるわけじゃない。元気になれるわけじゃない。わかっていても、嵐のような感情や思考がやってきて、全部薙ぎ倒して、だめにしてしまう。その繰り返し。だから、新しい朝が、出勤していた頃と変わらず、絶望の朝。思考を止めていられるときだけが安らかだ。

 

ふとチャンネルを回した番組で、ショパンノクターンが流れていた。それがどうということもなかったのだけれど、柔らかいピアノの音を聴いていたらぼろぼろ涙が出た。うつくしいものに慰められることはよくあることだと思う。(今日はそれからずっと聴いている。どこを切り取ってもうつくしい旋律が続いていて、ずっと聴いていられる。)

ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9の2

ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9の2

  • フジ子・へミング
  • クラシック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

花を見たい。美しい、色の多い花束を、見たい。一昨年のとてもつらかった頃、蕾で買って生けていた芍薬が綺麗に花開いたとき、そのあまりに安らかなうつくしさにひどく慰められた。もうすこし元気になったら、花を買いに行こう。この時期に芍薬はないだろうけど、すこし大振りな花を買って、花束を作ろう。まだ、部屋の隅のベッドから起き上がれないままだけど、この荒れた部屋に花をいけることを考える。息を深く吸って、その花束のイメージについて、ゆっくり考えている。