三月が去る

3月29日、金曜日。年度末、最後の日。三月が終わる。わたしの二年目が終わる。ベランダに出て、遠いビルの明かりを見つめながら、煙草を吸う。ちょうど最後の一本だった。終わった。ちゃんと終わった。終わって本当に良かった、という実感を噛み締めている。

 


大学を卒業して、この仕事を始めてから、丸二年が経った。やっと、二年が終わった。この二年という年月はわたしのこれまでの人生のどのときにもなかった類いの二年だった。思い返したときに、過ぎ去るまでが早かった、とも、もっと長く感じた、とも違う実感がある。ただ、重たく、濃密で、激しく、嵐の後の激流に揉まれ続けるような時間だった。

二年前、わたしは、社会のことをなんにも知らないまま、学校社会以外の、もっと広く、よりさまざまな秩序が入り乱れる、多様で乱暴な社会に呑まれた。それまでにわたしのいた学校という小さな社会があまりにも限られていて、やさしかったというのが正しいのかもしれない。大学では社会学を学んでいたし、アルバイトもたくさんしていたし、ボランティアもしていたし、いろんなひとと出会ったし、その分嫌なことも辛いこともたくさん経験した。だから、それなりに社会というものを知っていると勘違いしていた。(わたしが選んだこの仕事が、少し特殊だったことはあるかもしれない。どこかの就職サイトにあったきつい営業職ランキングなるもので、不動産と生保に続いて3位だったのを見たことがある。)だから、一年目は衝撃的だった。何度も強く頭を殴られたような気持ちになった。その傷を癒して自分の中で消化する間もなくまた殴られて、それを繰り返すうちに一年目の秋の終わり、冬が始まるころに精神がだめになった。休職という、虚しく苦痛な時間を過ごしながら一生懸命休み、そうして復職して、また一年を走ってきた。

正社員で週に五日働くということは、五日間のリズムの中で休まず回り続けなければいけないということだった。悲しいことがあっても苦しいことがあっても、次の日はやってくるし、出勤の時間はやってくるし、仕事という流れのスピードは決して緩まない。もちろん体調が悪ければ休むし、動けなければ休むし、有休も取れる。わたしの会社は労働条件は普通にちゃんとしている方だと思う。でも、そういうことではない。どんなにきつくても、それこそ休職でもしない限り、この週に五日のサイクルとそのリズムは延々と続く。わたしは、その中で、自分をハンドルできるできないに関わらず、延々と回り続けなければならない。そういう働き方を選んだのだ、と思った。それは、少し愕然としてしまうぐらいの、イメージのギャップだった。

二年目は、一年目の最悪さよりはマシだった。でも、マシだった、くらい。耐え難いほどにつらく、もう続けられない、と思う夜も数えきれないほどにあったし、休職こそしなかったけれど、二、三日動けない状態になる時期が二ヶ月に一度くらいの頻度でやってきた。ただ、より適応できるようにはなってきたと思う。クレームの処理を一人でやって、普通にお昼も夜もご飯を食べられたときは、タフになってきたな、と思った。一年目の配属当時、上司に、個人的な感情は切り離そうね、とよく言われた。クライアント、カスタマー、どちらにも感情移入してしまうわたしにはそれがとても難しかった。むしろ、その共感力が自分の強みだったのに、この仕事では、それはほどほどに持つべきもので、優先すると自分が潰れる。だから、感情を割り切り、鈍く鈍くいられるように努力した。でも、そう努めることは、この仕事で生きていくためには仕方がなかったけれど、多分、わたしの本意ではなかった。

利益追求のビジネスにおいては、それがどんな業種であれ、利益のための合理性が求められる。その中で、個人感情を優先的に考慮することが必ずしも正しいとは思わない。その必要性は理解しているけれども、あまりにも生身の人間と近いところにあるこの仕事において、感情を一旦横に置いてビジネスの合理性を優先しなければならないことは、度々わたしにとってはつらいことだった。

回数を重ねれば、慣れれば、できないことはない。そういう意味でも、そこそこにうまくやれるようにはなってきた。でも、本意ではない、望んでいない、という違和感が拭えないまま、三年目を迎えることになった。

 


大学の頃に友人たちと、「幸福論」というテーマでフリーペーパーを作った。(当時、フリーペーパーを作成・配布するサークルに所属していて、それは卒業前の最後の一冊だった。)その際に、インタビュー企画でテーマについてインタビューをしたとある企業のCEOの方が言っていた、いまだに忘れられない言葉がある。

 

〈働き方のバージョン1.0は生存のため、2.0はお金、3.0は自己実現のためなんですよ。そのバージョンが高ければ高いほど幸福度が高いと思います。(略)別にやりたくないけどやらなければいけないことを一日の三分の一できますか、ということです。私は、かなり無理があると思って。だから、自分の幸福と仕事は結びつけてしまった方が早いというか、より幸せには近道かな、と思っています。〉

 

当時、就職活動を始めたばかりだったわたしには、この言葉たちが印象深く残って、この話を軸に今の仕事を選んだ。やりがいがある、自分の信念や幸福と結びつくような仕事を選んだつもりだった。しかし、実際に仕事というものを始めてみて、一日の三分の一以上の時間を費やしてみて、これはそう容易いことではないと知った。さらに時間が経った今は、言葉通りのシンプルな話ではないということをなんとなく理解してきた。恐らく、苦しいことがない仕事もつらいことがない仕事もない。365日ずっと楽しいこともない。幸福であるということは、幸せだ、と毎日感じ続けることというよりかは、もっと、過去と現在と未来の全体を見た総合評価の結果のような気がする。そういう意味で、彼女の言った、自分の幸福と結びつく仕事とは、ネガティブな事象に直面しつつも(或いはそれが終わった後にでも)、それでもその仕事を信じられるか、好きだと言えるか、やりがいがあると思えるか、ということなのかもしれないと今は思う。仕事を労働と呼び、やりがいや自身の幸福から切り離されたものと捉える人たちもいる。わたしもそう捉えるべきかと考えることもあるのだけれど、その度にあのインタビューを思い出す。自分が少しでも正しいと信じられる仕事をしたい、と思ってしまう。一方では資本主義を支持できない考えがありながら、矛盾しているとも思うけれども、やはり、自分の生活の一日の三分の一の時間を、心を無にして過ごすことは、多分わたしにはできない。社会を構造ごと変えることはできないけれど、自分の信念に沿った、誰かのためになる仕事をしたい。彼女の言っていることを実現することは理想論に近いかもしれないけれど、わたしなりに納得できる、やりがいを見出せる仕事をしていたい、と思う。

それで言うと今の仕事は、やりがいがないわけではないけれども、苦痛の部分があまりにも自分にとって大きいように感じている。また、こなせないことはないけれども、自分に適性がある方か、と言われると、あまり向いていない方だとも思う。同僚との関係はかなり良好で、それはとても大きな救いだ。上司との関係はイマイチ、他部署の人もいい人が多くはあるけど、社内営業は息苦しいことも多い。この三月に組織改変で最悪なことも起こった。四月から昇進が決まっているけれど、多分、ここではない場所で、次のステージを探すときが来ているだろうなと思う。 

 


何はともあれ、それでもこの二年を走ってこれたこと、本当に良かった、と思う。改めて、何度も、しみじみと思う。学生時代も楽しくて好きだったけれど、わたしはずっと、はやく働いて自分で生計を立てて、自分で自分の人生をちゃんと作れるようになりたかった。あまり折り合いの良くない親から、はやく完全に自立したかった。そう考えると、わたしは長年の願いを叶えることができて、いまを生きている。そして、毎日、やっとの思いではあるけれど、なんとか仕事に行くことができる健康な身体がある。生活できるだけのお金を自分で稼ぐことができている。それは既にとても幸福なことであるとも思う。

三月は去る。そうして一年一年が、毎度ちゃんと終わることに心から安堵する。良かった思い出も苦しかった記憶も全部置いて、新しい四月で生まれなおすことができますように。願わくば、三年目のその道があまり険しくなく、わたしにやさしくありますように。

「夜明けのすべて」鑑賞後記

明けない夜はない、という言葉が好きではなかった。10代の、思春期ど真ん中で精神的に最悪かつどん底だった頃、母がよく言い聞かせてきたからだ。文字通り、目の前が真っ暗に閉じて、良いように開けてゆく未来を想像もできなかった時、その言葉は励ましでなく、そう信じるように強く強制されているように感じて、受け入れ難かったのを覚えている。これは今も変わらない考えなのだけれど、わたしは、全てがいつか必ず良いように進む、という言説にも懐疑的な方だ。それを信じたい人はそれでよいと思うけれど、万事が万事、そのように着地するわけではないことを経験してきたので、易々とその言説に乗ることはできないし、そうしたくないときがある。だから、この言葉は好きではないし、そう言いたがる作品のことも好きになれないかもしれない、と思っていた。

 


三宅唱監督の最新作「夜明けのすべて」を観た。

藤沢さんからもらった自転車に乗った山添くんが、西陽の広がる街の中に漕ぎ出していくシーンのことを、何度も何度も反芻する。夥しい光の粒子たちが溢れるように画面いっぱいに広がる、美しい西陽の、その光の方向へ、光の中へ、彼は進んでいく。街の中を走る山添くんを度々カメラが正面からバストショットで捉える。少し上を向いて空や木漏れ日を仰ぐ彼の顔に、陽光が差したり、影が落ちたり、繰り返される。彼は穏やかで、すこし晴々とした表情で光を受け止めている。未だ、電車にも乗れず、美容院へも飲食店へも入れない彼の、これは一つの大きな前進であるからだ。こんなにいいシーンに久しぶりに出会ったような気がした。16ミリフィルムで撮影されたという映像が、西陽の強い光を柔らかく、あたたかく、映している。その光の大きな海の中に漕ぎ出していく山添くんの背中。これから先も、何度もこのシーンのことを思い出すだろうと思った。

この映画は、PMSに苦しむ藤沢さんと順風満帆の人生で突如パニック障害になってしまった山添くんが、栗田科学という中小企業で同僚として共に日々を過ごしながら少しずつ前進していく話だ。わたしは二人のどちらにも少しずつ近しいものを持っていて、それゆえにいろいろなことを思い出しながら観た。恐らく会社の激務から心のバランスを崩した山添くんと同じように、わたしも一昨年、いろいろなことが重なって、ある日突然仕事に行けなくなってしまった。藤沢さんと同じようにPMSにも長年苦しんできた。藤沢さんを見ていると、わたしはまだコントロールできるほうだったのかもしれないし、幸いにもピルを飲むことができる体質だったので全く同じとは言えない。けれど、PMSや生理などで自分の心身が侭ならなくなるせいで、うまくいかなかったことはたくさんある。生理の一週間前ぐらいになると、突然、心が手綱を離した暴れ馬みたいになった。あるいは、安全バーも制御装置もコントローラーも稼働スイッチもないジェットコースター。急降下して落ちていく先が強い希死念慮であることも度々だった。今は低容量ピルを飲み、婦人科に通院しているので、だいぶんマシになったけれど、それまではそこそこにしんどい思いをしていたように思う。生理やPMSのそういう、きっと少なくない女性が抱えている苦痛やままならない身体へのもどかしさ、悔しさ、やるせなさが、具体的に描かれていたのは新鮮だったし、当事者としてうれしく思った。

一方で、共感できる要素がありながらも、登場人物一人一人を不可侵の別個の存在として描き、観客と距離を置かせて描くのが三宅唱のうまいところだ。単純に同情もさせないし、易々と自己投影もさせないし、観客のわたしたちだけでなく、劇中のかれらすら、互いのことを決してわかりきらない。これは、「きみの鳥はうたえる」「ケイコ 目を澄ませて」でも同じようなことを感じた。映画制作の技術がますます発展する現在、通常の物語映画ではカメラの不在が重んじられているように思う。会話のシーンではしっかり切り返され、ストーリーを円滑に進めるために作為的にカメラは動き、私たちは映画という映像よりも、物語に没入していく。物語に没入していく中で、わたしたちは登場人物について、物語に必要な全てを知ることで、かれらを同一視するか、あるいは神の視点でかれらを見つめることになる。しかし、三宅唱の映画では、会話シーンにおいて、切り返さないショットが度々目立つ。登場人物の表情も映しきらない。「ケイコ」では特にその横顔や背中を見つめさせられるシーンが多かったように思う。説明的な台詞も少なく、大きな山場もない淡々とした映像の中で、登場人物たちの、きっと本人たちにとってはありふれた日常を、わたしたちはただ見つめる。同一視をできるほど近くなく、神の視点で観ることができるほど遠くない。関係性のない隣人のような距離感で、かれらの生活や人生をただ、見つめることを受け入れる。本作でも、2人のケータイのメッセージのやりとりの内容を映さず、ケータイの画面を見つめる2人を交互に映すシーンがある。かれらの表情だけで、どんなやりとりがなされているかを描写する、素晴らしいシーンだった。一方で、わたしはかれらとは異なる他人である、ということを再認識したシーンでもあった。彼の映画を観るたびに、思う。わかりきることは必ずしも必要なことではなく、わからないままでいることが心強く、美しいこともある。藤沢さんと山添くんの"不十分な"描写は、むしろ言語化すると遠ざかってしまうような感情や感覚の共有に繋がっているようだった。わたしはかれらのことをよく知らない。映画は2回観たけれど、かれらの痛みもくるしみも、喜びも希望も全部はわからない。かれらが物語の外でどんなふうに過ごしているかも知らない。わからないし、知らない、ということを知っている。「ケイコ」のラストを観ながらも同じことを思った。観客たる私たちは、映画館の外で、淡々とした日常を、生活を、生きている。わたしたちの人生の中には、そうそう映画の中のような鮮やかな喜怒哀楽もないし、ドラマチックな悲劇も幸福もない。ただ延々と続く日々を地味に積み重ねていくことにしか人生はない。そのことが、そのままに、繊細に作り込まれて描かれているのが三宅唱の映画だ。藤沢さんの日常も、山添くんの日常も、わたしたちとおんなじように、一進一退しながら、淡々と積み重ねられて、続いていくのだ、とあの素晴らしいエンドロールを観ながら思った。それはとても心強い余韻だった。

 


ラスト、体育館でのプラネタリウムのイベントで、受付に一人座る山添くんは藤沢さんの朗読を聞いている。柔らかい表情で、宙を見つめたり、時々背後のプラネタリウムに視線をやるようにしながら、穏やかな表情で聞いている彼の顔の半分に、西側から差し込む光が、落ちる。朗読のラスト、藤沢さんは読み上げる。過去に自死で亡くなった栗田社長の弟が書き残した、「夜についてのメモ」。「喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動きつづける限り、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる。」

劇中、度々差し込まれた、夜の街の景色を映すショットは、かれらの長い長い夜についての示唆でもあったのではないかと思う。山添くんが、夜、電気を消した自室で膝を抱えているシーンがある。わたしも、休職直前から休職期間中まで、ほとんど夜に眠れなくて、それ故にひたすらに夜が長かったことを思い出した。昼よりもずっと、夜の方が長い。途方もないほどに、長い。あの、じりじりとした焦燥感と絶望感に苛まれる、孤独な時間のことは、今でも忘れられない。病気が苦しい時期や今の自分を受け入れられない時期としての「夜」の比喩もあっただろうけれど、単純に、そういう、眠れない夜としての「夜」も示唆されていたように思う。けれど、ラストに藤沢さんは「必ず終わる」と言ってくれる。それは、きっと山添くんにとって、藤沢さんにとって、長い長い夜をたくさん耐えてきた二人にとって、ものすごく心強くて、あたたかい励ましになったのだろうと思う。そのことが、少し前のわたし自身と重なって、このシーンで涙が止まらなくなった。必ず終わる、そして新しい夜明けがやってくる。この台詞が、思わぬところで、過去とその過去を持つ今のわたしを、あたたかく抱き締めてくれた。ありきたりだけれど、このラストは、他でもない藤沢さんと山添くんの物語を土台にしてあるから、深い納得感とともに受け取ることができる。わたしたちは、永遠に終わらないような夜を彷徨い、その途方もない孤独に沈黙し、苦しみながら、それがいつか終わることを知っている。全てはいつか終わり、新しい夜明けがやってくる。それは、使い古された決まり文句的な展開ではあるのだけど、でもやっぱりそう信じていたい、と思う。そう信じて、あと少し頑張ってみたい、と思う。そんなふうに思える自分に出会えたことも、とてもうれしいことだった。

 


一度目は友人と、二度目は仕事帰りに一人で観た。一度目に観た友人は、また偶然にも近しい経験をした過去を持っていて、二人で映画館で立ち上がれなくなるぐらい、号泣した。彼女が、帰り道、わたしたちのための映画だったね、と言った。そんなふうに思える映画に出会えたこと、そしてそれを友人と同じ空間で共有し、同じように分かち合えたこと、なんという幸福か、と思う。一緒に映画を観て、一緒に泣いて、一緒に映画についてやそれ以外のことについて、言葉にした時間全部が、癒しであり、希望であり、あたたかい西陽に照らされるみたいな時間だった。手を繋ぎ、あたたかいハグをするような、満ち足りた、得難い映画体験だった。

 


わたしたちは決して楽ではない日々を生きている。この映画を観てから少し時間が経ったけれど、当然ながら、わたしの人生や生活がまるっと救われたわけではない。一年前に復職して、また同じ営業職に戻った。経験値が上がって、いろんなことに慣れてくると、案外ちょっとタフなふりをできるようにもなってきた。でも、心身のバランスがうまく取れず、蹲って立ち上がれない時期も度々ある。そういう時、あの西陽の光の中へ漕ぎ出していく山添くんの背中を思い出す。前職には戻らず、栗田科学で働きます、と言った山添くんに思わず涙ぐんだ辻本さんのあの涙を思い出す。山添くんをベランダから見送る藤沢さんの、揺れるカーテン越しの背中を思い出す。「夜についてのメモ」を思い出す。「必ず終わる。そして新しい夜明けがやってくる。」物語はすぐそばにある。わたしの歩く、長くくるしく、時に喜びできらめき、またさみしくなる人生の道の横に、この映画がある。そう思うと、もうすこし、夜明けを待って、歩けそうな気がする。じんわりと明けていく夜の美しさ、朝の素晴らしさを待って、歩き出せるような気がする。

2023年 映画のはなし

密かに100本観るのが目標だったのだけど、12月31日の今日、92本で着地しそうだ。週5で会社員をやり、友人と予定があれば出るけれど予定のない土日は出不精になりがちでありながら、よく観た方なのではないでしょうか。と自分を褒めておくことにする。年始から年末までいろんな特集上映があって、いろんな新しい映画との出会いがあって、本当にありがたかったし、たのしかった。

昨年のブログからもわかる通り、わたしは新旧ごちゃごちゃに観るので、今年のベスト映画も今年公開の新作に限りません。

 


シャンタル・アケルマン「家からの手紙」「一晩中」「ジャンヌ・ディエルマン」「囚われの女」

昨年に続き、シャンタル・アケルマンの特集上映。今年一番熱い特集だった。春の特集上映だけでなく、配信でも何作か観て、どの作品でも素晴らしい映画体験を得られた。今年多くのアケルマン作品に出会って思ったけれど、わたしはグザヴィエ・ドランの映画が世界で一番好きで、その次にシャンタル・アケルマンの映画が好きだ。

中でも個人的に印象的だったのが、下記4作品。

 

「家からの手紙」(1977年)

地元ベルギーに残る母とニューヨークに出て行った若きアケルマンの一言では言い難い複雑で微妙な母娘の関係性が、ニューヨークの街並みを映す長回し映像と共に浮き上がる。実際に母から届いていた手紙をアケルマン自ら読み上げるという構成も生々しくて、面白い。何より、これは愛である、と提示されるものを愛としては受け取れない時、愛と受け取らない側が罪な気がしてしまう肉親との関係について、自身の個人的な経験ともリンクして、何度か思い出してくるしくて、泣いた。

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「あなたの幸せが一番です」本当にそう思ってくれるのなら、わたしが選ぶ幸せが幸せだと一緒に信じて欲しい。ちゃんとわたしは幸せになる力があるし、もし間違って転んでも大丈夫だよ。押し付けずに、どうかただ、願って欲しい。

 

「一晩中」(1982年)

音楽が美しい。若い恋人たち、夜中のデートに出かける中年の夫婦、こども、眠りこける夫と家出を目論む主婦、幸福な夜を過ごすゲイカップル、はたまた駆け引きの中にあるレズビアン(らしき)女性たち……。街の日常に埋もれるそれぞれの夜が延々と続く。恋人を見送った翌朝の青年が、起きて、煙草を吸って、それからまずはじめにすることが恋人に手紙を書くことで、それがすごくよかった。度々フォーカスされた家出の女性は、ジャンヌ・ディエルマンを思い出させた。幸福も不幸もなんでもないように散りばめながら、ジェンダーロールの抑圧など、社会的な問題への眼差しが作品を貫いているところは、アケルマンらしく、よいところ。

 

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」(1975年)

去年に一回目のアケルマン特集上映で観て衝撃を受けた作品で、去年もベストに入れているのだけど、今年も早稲田松竹の再映で観て、やはり最高の映画体験だったので今年のベストからは外せない。2本立て併映の「WANDA」との相性が抜群で、早稲田松竹って改めていい映画館と実感。今年も大変お世話になりました。引越しはしたけど全然遠ざかっていないのでまた2024年もたくさん通います。あと、アケルマンは本作を24歳の時に撮ったと知って心底震えた。恐ろしい才能……。

やはりあのラストシーンの長回しが壮絶で、衝撃的だ。あの息の詰まるような数分は、わたしたちに突きつける。ああすることでか、"母"や"女"でない自分になることができない、その性役割からの逃れられなさ。個人ではなく、個人を取り巻く社会そのものが、彼女をただの"彼女"でいさせないということについて、考えずにはいられない。この、沈黙で痛烈に語る、性役割の窒息しそうなほどの窮屈さは、「サントメール ある被告」にも通ずるところがあるかもしれない。女性監督たちの力強い意志と創作の力を感じてエンパワメントされると共に、1975年と2023年の問題意識の観点に大きな変化がないことに、その社会の実情に、辟易もする。

僅かに身じろぎするときの衣擦れの音がかすかに響くのみのあの時間、わたしたちは彼女の動揺やくるしみや解放感や絶望、喜びを感じ取りながら、考えることを迫られる。痛いほど切実に問うてくるものを、取りこぼさず受け取らなければいけない。

ジャガイモを剥くジャンヌ・ディエルマン。背景と衣装の配色が美しい。

 

「囚われの女」(2000年)

初期アケルマンばかり観ていたので、後期アケルマンも観てみようと思って配信で観た作品。

あまりにも美しい映画で劇中何度もため息が出た。本当に素晴らしい。恋も愛もそれに付随する執着も、個人的にあまり関心がないので物語の大筋は好きでもなんでもなかったのだけど、丁寧に繰り返され、美しく残酷に描写される登場人物たちのディスコミュニケーションが素晴らしかった。その伝わらなさ、傲慢さ、独り善がりなところ、徹底的にわかり合うことができない虚しさ、諦念、絶望感……。アケルマンの容赦のないところが好き。

同時期に観た「オルメイヤーの阿房宮」も大変によかった。またアケルマンが映画館でかかる日が来たら、この2作は絶対に映画館で観たい。

 

 

三宅唱「ケイコ 目を澄ませて」「きみの鳥はうたえる」「ザ・コクピット

アケルマン同様に、今年は個人的に、三宅唱と出会い魅了された、三宅唱の年でもあった。ケイコに始まり、配信で「きみの鳥はうたえる」を観て衝撃を受け、早稲田松竹の特集上映も有休を取って未見の計3作品を観た。今、作品を並べていて思ったけれど、わたしは沈黙が美しい映画が好きなのかもしれない。三宅唱も、言葉で語るより、沈黙や表情、あるいは表情すらも見せない方法で語る映画作家だと思う。


「ケイコ 目を澄ませて」(2022年)

封切り後に新宿で一度、そのあと早稲田松竹の特集上映で一度、計2回観て、2回とも本当によかった。

地道に淡々と積み重ねていく日々の、地味で無感動なその感じが、とても丁寧に描写されていた。物語なのだから、フィクションなのだから、ドラマティックな展開やわかりやすい喜怒哀楽や印象に残る台詞が必要な時もあると思う。でも、そういったものに多く頼らずに、静かに淡々と、でもとても豊かに演出された映画だった。ケイコがこれからも積み重ね続けていく日常は、わたしと決して交わらないし共通点もない。わたしはケイコに個人的な共感はなく、全く別の人間に感じているし、そういう意味ではケイコというキャラクターとの距離は遠い。でも、その積み重ねという地味で孤独な作業はわたしの日常でも続いている。その退屈なさみしさや、そのなかで不意に、会長のような人たちと交わったときの眩しいほどのうつくしいよろこびについて、わたしも知っている。うまく言い表せないけれど、その遠いようで近いようなケイコとの距離感と映画のラストが、どこか心強く感じて、とても好きだった。

 

きみの鳥はうたえる」(2018年)

こういう、若い男女の性欲と不誠実な恋愛を混ぜたみたいな日本映画のことが全然好きじゃないので敬遠していたのだけど、三宅唱ファンの友達にゴリ押しされて観た。結論、度肝を抜かれる素晴らしさだった。

ケイコにも通ずるところはあるのだけど、この監督の、言語化に頼らない、あくまで言葉にしきろうとしない姿勢が本当に好きだ。(監督本人がどのくらい意図しているかはわからない。)言葉にしきらないということは、明確にわかりきらないということにも繋がるのではないだろうか。本作でも、あくまで三人が三人ともお互いのことを理解しきらない描写がすごくよかった。切り返さない会話のショット、全部言い切らない台詞、無言のかれらの表情に何度も何度もよるカメラ……。みんな大好きだと思うけど、石橋静河演じる佐和子のカラオケの歌唱シーンがものすごくいい。佐和子の歌声に、染谷将太演じる静雄の口遊む声が少し被るところまで、猛烈にいい。

 

「ザ・コクピット」(2014年)

わたしは日本語ラップどころかヒップホップ含めて音楽のこともなにもわからない人間だけど、とても楽しい映画だった。延々と続く音作り、短い言葉の応酬、コミュニケーション、手作りのゲーム、リリック、笑い声、狭いワンルームの床に落ちる日差し、みんなが肩を寄せて一つの音楽をじっと聴いているあの空間の、胸が熱くなるような素晴らしさ。ラストの車窓から流れていく景色の長回しが本当にすごくて最高な気分になった。ため息が出た。こんなに最高なことある…?!と信じられないような気持ちで映画館を後にした。

 

 

アリス・ディオップ「サントメール ある被告」(2022年)

今年、最もわたしの核に迫る、個人的な映画体験を作ってくれた映画だった。感想、考えたことなどは先日のブログに書いています。

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今また気づいたけれど、これも沈黙で語り、沈黙が美しい映画だった。私が最も尊敬している映画文筆家の児玉美月さんは今作の公開に寄せて、「セリーヌ・シアマは『これは私たちの時代の"ジャンヌ・ディエルマン"』と賛辞を送るが、シャンタル・アケルマン同様、今後間違いなくアリス・ディオップは映画史で言及されつづけることになる。」とコメントを寄せている。もちろんパンフレットの評もとてもよかった。アリス・ディオップ、今後も注目していきたい監督だ。

 

 

アニエス・ヴァルダ「冬の旅」(1985年)

今年は常々観たいと思っていたヴァルダの作品たちにもしばしばタイミングが合って出会うことができた年だった。

アケルマン同様、ヴァルダもフェミニストで、社会的な視点を常に持って映画を撮る映画作家だ。ただ、ヴァルダが他の作家と少し違うのは、観客への問いかたのように思う。「冬の旅」は、端的に感想を言うならば、非常に厳しい映画だった。内容や結末はさることながら、何よりも、観客に決して安易に同情させない、その毅然とした距離感がわたしたちにこの物語をどう受け取るか、静かに、厳しく問いかけていたように思う。

この映画を観ながら、渋谷区のバス停で殺された女性ホームレスの事件を思い出していたし、同時に香山哲さんの漫画『ベルリンうわの空』のことも考えていた。何かしらの支援が必要な人に相対するとき、不用意な距離感で同情して対象の人々を他者化して終わってしまうのではなく、誠実に理解するように努め、自分にできることを探らねばならない。同じ地続きの社会に生きる他者として、モナやモナの生き様をどう眼差すか。ヴァルダはモナを通して淡々と問いかけている。

 

 

ピエール・エテックス「大恋愛」(1969年)

「大恋愛」のベッドカー走行シーンがとにかく面白く、今年観た中で一番の映像だった。最高です。

ベッドカーの走行と渋滞。面白すぎる。

ピエール・エテックス演じるおじさんはフランス映画によく出てくる気持ち悪いおじさんで全然好きではないのだけど、こんな映像が1969年の映画界にあったことがただ面白くて最高だった。ピエール・エテックス作品に共通して言えることだろうけど、エンターテイメント性が高く、テンポの良いコメディタッチの物語展開もとても良い。脚本も演出もファッションやインテリアなどの美術もクリエイティヴィティに富んでいて、世界観の作り込みの細部までのこだわりが素晴らしく、観ていて本当に楽しかった。ウェス・アンダーソンあたりは彼にいくらか影響を受けているのかもしれないと思う。  

 


ウルリケ・オッティンガー「アル中女の肖像」(1979年)

オッティンガー特集上映のうち、他2作はアート映画の色が強く、やや難しかったけれど、これは比較的内容も面白く観られた。タベア・ブルーメンシャイン演じる女が、滅多に微笑まず、媚びず、怯まず、何にも囚われることなく、ただただ酒を飲み、酩酊していく様が清々しくて、力強さすら感じる。彼女の振る舞いだけでなく、彼女の描き方そのものが従来の女性像を破壊するという意味でフェミニズム表象になっていて、好きなフェミニズム映画のひとつになった。そして、タベア・ブルーメンシャインの衣装が本当に本当に本当に素晴らしい。

冒頭、空港に降り立つタベア・ブルーメンシャイン。真っ赤なコートに真っ赤な帽子、白い手袋と白いパンプスという鮮烈な配色のスタイリング。



ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーマリア・ブラウンの結婚」(1978年)

衣装スタイリングが良くて、かっこいい女が自分の人生を切り拓いていく映画なんか好きに決まっている。

いろいろな見方があるだろうと思うし、マリアの自立性やその結果を肯定することは資本主義におけるマッチョイズム的価値観の肯定になるかもしれないけど、でもそれでも、痛快な程にきっぱりと自立して、キャリアという元来男社会であったはずの場所で完璧にのし上がっていくマリアの生き様は観ていてエンパワメントされた。しかも、それが、キャリアそのものに意義を見出しているのではなく、むしろ手段で、理想の「結婚生活」をかなえるためという目的意識の元、首尾一貫しているのもおもしろい。自立的なマリアが言う「あなと一緒に生きていきたい」は、現代的な結婚の価値観に思えて、それもこの映画を好ましく観られた理由の一つ。

 


マシュー・ロベス「赤と白とロイヤルブルー」(2023年)

設定やストーリーはもちろんフィクションで御伽噺ではあるのだけど、セクシュアルマイノリティカップルを描く御伽噺として、根底の認識全てが正しくて、大変良かった。主に素晴らしくて大好きなのは、大統領である母へのカミングアウトシーンと、ポイントとなるシーンではないかもしれないけれど、二人を祝福する市民たちがプライドフラッグを振っているシーン。いわゆるラブコメBLにカテゴライズされるようなエンタメで、あんなにたくさんの市民が持つプライドフラッグが見られるなんて。一気に実社会のプライドパレードなどと景色がリンクして、そこだけでかなりエンパワメントされて泣けてしまった。超フィクションも好きだし、それはそれでいいのだけど、実社会への目配せを読み取れる、地に足ついたエンタメが本当に好きだ。

 

 

 

2023年は、わたしが最も尊敬し愛する映画作家グザヴィエ・ドランが映画制作の活動を辞めると公に宣言した年でもあった。いまだにショックだし、あまり上手に受け入れられていなくて、涙が止まらなくなるときもある。わたしの20代前半の本当に大事な部分を支えてくれて、救ってくれて、時に輝かせてくれて、決して言い過ぎではなく、人生を変えてくれた映画作家とその作品たちだった。ドランの映画たちに出会っていなかったら、わたしは自分の痛みとこんなにちゃんと向き合えていたかわからないし、こんなにその痛みを克服できていなかっただろうし、こんなに映画を好きにもならなかったと思う。ドランが作ってきた作品一つ一つがわたしにものすごく大きな影響を与えてきた。最早、この思いは尊敬や敬愛よりも、信仰にやや近い。わたしにとって、神様みたいなひとだった。

まずは、そんな映画作家に二十歳よりも前に出会えたことに感謝している。わたしの20代前半を一緒に作ってきてくれたことはもちろん、「わたしはロランス」では大学の卒業論文も書かせてもらった。(本当に自分の人生に重要な体験だった。)監督業を辞めるという事実そのものを、感情の部分で受け入れるにはまだ時間がかかるかもしれないけれど、でも、他の大事な人たちとおんなじように、あなたには健康で、幸せでいてほしい。願わくば、嫌なこと、辛いことからはできるだけ距離をとって、喜びにあふれた毎日を送ってほしい。だから、そのために映画監督を辞めることが必要なのであればそれは仕方のないことだと思う。超商業的なエンタメ産業において、金銭的、経済的な苦難というのが生易しいものではないことも全く想像に難くない。またいつか、つくりたいと思ってくれることを淡く期待はしているけれど、何よりもこれまでたくさん走ってきた分、安らかに健やかに日々を過ごしてほしい。

 


運良くわたしのところにはいつもどおりの年末がやってきた。けれど、ウクライナとロシアの戦争は終わらず、ガザの恐ろしいジェノサイドも今なお続いている。本当に言葉にできないくらいに残酷で悲しいことが起きている。日本においても、物価高に増税と苦しい思いをしているひとが多いのではないかと思う。暗澹とした季節の中で、正直わたしも日々を生きるのに精一杯だ。できることは限られているけれど、ひとつひとつできることをやらなければいけない、と思う。どうか、一刻も早く停戦され、傷ついた人々に穏やかな日常がやってきますように。全ての戦争が終わって、あたたかい春が全ての人にやってきますように。2024年も、そう、心から願ってやまない。

わたしの王国

引越し翌日の朝、南向きの大きな窓からたっぷりと朝日が差し込む部屋で、段ボールと荷物に囲まれながら、淹れたてのコーヒーを啜る。新しく眩しい光の中で、窓の向こうに続く、見慣れない、けれどなんでもない景色を眺めながら、ふと、いま座っているここはわたしの王国だ、と思った。ここは、この家は、わたしが手に入れた最も美しいもののひとつになる。ものすごく大きくはないけれど、決して小さくはない、両の掌におさまる、ちょうどいい大きさ、わたしの国。ここをきっと愛するようになる。大好きになれる。ここはわたしの魂を大丈夫にしてくれる家になる。 

 

 

大学3年になる春にこの街に越してきてからもうすぐ4年が経つ。先日、3年と9ヶ月を共にした一つ目の家とさよならをした。

築年数は忘れてしまったけど結構古かったはずだし、お風呂とトイレが一緒で、収納もないワンルームだった。とにかくこまめな掃除が苦手なわたしはバスルームがいつも汚いのが本当にいやだった。収納がないせいで、実家から持ってきたクローゼットがいつも洋服で溢れていたのも窮屈だった。ベランダがないので狭い部屋に部屋干ししかできないのも不便に感じていた。でも、初めての一人暮らしを一緒に始めてくれたこの家のことが、ものすごく大切で、ものすごく好きだった。

大学3年の春、やっとの思いで実家を出て一人暮らしを始めたわたしにとって、「自分の家」という場所はかなり特別だ。親との折り合いの悪さから、誰にも干渉されない場所で自分一人の家で暮らしたい、とずっと思い続けてきた。そして、親の力を借りずに、できるだけかれらから遠いところで、早く完璧に自立したい、というのが二十歳過ぎのわたしの最も切実な願いだった。それが叶ったときのあの気持ちの素晴らしさたるや。深い充足感と幸福感。自分の生活を自分の責任で作り、歩いていく日々は、わたしがずっと欲しかったものだった。本当に嬉しかったことをよく覚えている。あの頃のことを思い出すとき、坂元裕二脚本のドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう*1の主人公・杉原音の台詞を思い出す。わたしよりも遥かに劣悪な実家・北海道から東京に逃げ出してきた音ちゃんは、雪が谷大塚にぼろい木造のアパートを借りる。上京から何年経っても音ちゃんが住み続けているその部屋のことをあまりよく思わないようだった伊吹に、音ちゃんは言う。

 

「この部屋はね、わたしが東京出てきて、自分で手に入れた部屋なの。(中略)たいしたものないけど、どれも自分のもので、自分で自由に出来るものなの。それってわたしにとって、すごく大事なことなの。」

 

それって、自分で自分の人生を生きている実感を得られるということだ。家族や実家という共同体が、共に生きていく拠り所ではなく、窮屈に囚われるだけのしがらみになってしまったわたしたちにとって、それがどれだけ救いであるか。わたしにとって、「自分の家」があることは自分の人生を生きているということの証左になっていた。だから、一人で家賃や水道光熱費を支払い、生活をし、わたしの東京での一人きりの暮らしを支えてくれていたこの家が、ものすごく、大事だった。

同じドラマで曽田練の職場の上司が言う台詞も、わたしの「自分の家」の考え方の指針の一つになっている。

「ふるさとっていうのは思い出のことなんじゃない?」「思い出がある場所は全部ふるさとよ。そう思えば、帰る場所なんていくらでもあるし、これからできるのよ」

この家は、実家を出たわたしが初めてちゃんと帰りたいと思えた家で、実家を出ても帰る場所を作ることができると教えてくれた家だった。そんな愛するお家と4年を区切りにお別れをした。笑ってしまうかもしれないけど、最後に空っぽになった部屋を眺めていたら、少し涙が出た。この3年と9ヶ月、わたしと共にあってくれてありがとう。わたしの人生の一部でいてくれてありがとう。わたしに、一人で生きていける実感をくれて、ありがとう。

 

家に纏わる言葉たちの中で、もうひとつ好きなものがある。韓国ドラマ「シスターズ」*2で、三姉妹の大伯母さんが長女インジュに言う台詞だ。

「全てを失ってもこんな家さえあれば、初めから、やり直せる」

最終話では、インジュがその家で、

「私は私の魂が生きる家が欲しかった。この家に受け入れられたと感じた瞬間、全てが大丈夫だと思えた」

と思いを紡ぐ台詞もあって、それもすごく好き。わたしもそういう家が欲しくて、そういう家に出会いたくて、そういう家で暮らしたくて、堪らなかった。ずっと。今回は縁あって、かなり広い家に越すことになった。前の家では買えなかった、ソファーと大きいラグと本棚を買った。ソファーはヴィンテージのものを探して、布地が緑ベースで足が丸く少し猫足になっているものを買った。(ものすごく可愛い。引越して三週間近くが経つけれど、いまだに見るたびに新鮮に可愛いな〜と思う。)中の様相を整えることが全てではないけれど、この家を愛するために、やりたいことはなんでもしたい。ちゃんと、魂の生きられる場所、そういう家にしたい。

 

 

夕食を取った後、ベランダに出て、煙草を吸う。わざわざコートを着て、寒さに震えてまで吸うほどかと言われるとわからないけれど、でも、案外この時間が好きだ。前の家にはベランダがなかったので、キッチン横の小さい窓から顔を出して吸っていた。ちゃんとしたベランダが付いているのも新しい家の好きなところ。遠くのマンションの規則正しく並んだ明かりが見える。気温が低くなる夜は、くすんだ空にオリオン座がかろうじて見える。わたしはこの大きな窓から見える景色を、ベランダから見上げる少し広くなった空を、また愛するようになるのだろう。確信めいて、そう思う。めまぐるしく過ぎてゆく、時に優しく、時に厳しく、時にくるしい日々の中で、家だけはわたしのためにあると思える。わたしを守ってくれる。わたしをそこに置いてくれる。そう信じられる。わたしはわたしの王国をまた愛していく。

 

 

*1:2016年冬クール放送のテレビドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(フジテレビ放送)脚本:坂元裕二

*2:2022年Netflix配信のドラマ「シスターズ」(tvN放送)脚本:チョン・ソギョン/シスターズ | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

サントメールの僥倖/緩やかに閉じる

この胸に在り続ける孤独と渾々と向き合い続けることが、自分の人生なのかもしれない、とふと思うときがある。それは他人に埋めてもらうものではなく、その不変で不動の石のような存在と自分で向き合い、自分でそれとの付き合い方や解釈の仕方を変えていく。そういうものなんじゃないか、と思う。親友と呼べる友人との食事のあとの帰り道にそんなことを考えるわたしは薄情かもしれない。でも、外部からの力で変えられない、自分にしか変えられない、そういう頑固な孤独がわたしの中には確かにあって、それと付き合っていくのは、間違いなく、わたし自身にしかできないことだ。それが愛おしく思えるときもあれば、はたまたその存在を忘れられる時もあり、それに大きく絶望させられるときもある。それがそこに在る、ということは確かな事実で、それを真に知り、理解できるのもわたしだけなのだ、と思う。悲観しているわけではないのだけれど、ただ、どうしようもないぐらいに、そう思う。

 

 

 

先月の半ばに、「サントメール ある被告」(2022年/アリス・ディオップ監督)を早稲田松竹の上映ではじめて観た。今年の中でも随一の映画体験になったので、当時から今日まで考えたことを残しておきたい。

一つの裁判を通して、あたかも法廷劇かのように展開される映画は、子殺し云々などではない主題を示唆する。子供を海岸に置き去りにして殺害した罪に問われるロランスの罪や物語を中心に据えながら、その裁判を傍聴するラマの人生が交錯し、ラマの母親の人生が交錯し、社会における人種やジェンダー、とりわけ、「母親」について不可視化されているあらゆる問題が浮き上がる。法廷では、裁判官とロランスとの答弁含め、言語が事実を語り、言語が想いを語り、言語が訴えを語る。その一方で、法廷の間に挟まれるラマに纏わるシーンは驚くほど静かだ。特に、鏡台の前で着飾り、すとんと感情が抜けたような無表情のラマの母が沈黙の中で涙を流すシーンには圧倒される。言語では語られない、ただひしひしと伝わってくる壮絶な"もの"……。それはロランスの苦悩やラマの不安ともリンクしていて、その映画的な手法の鮮やかさに深く胸を打たれた。ラスト、ソファに身を投げ出し横たわったラマの母が「疲れた」と呟く。ロランスの判決でもなく、ラマの出産でもなく、このシーンがラストにくる意味を考えたとき、私は自分の母親のことを思い出さずにはいられなかった。

ずっと、産む側ばかりが責を問われるジェンダーの問題と母娘の確執についての物語なのだと思って観ていた。でも、映画の中盤終わりくらいから、この映画の意味するところが明確にわかってきて、涙が止まらなかった。そんな単純な話ではなかった。「母親」であること、その言葉にならない(不可視化されてきたという意味でも言葉にならない)、言語化できない、壮絶さについての話だった。孤独、いたみ、苦しみ、息の詰まるような逃れられなさ(「母親」という枠組みに課せられた役割)、自身でさえも認めることのできない(社会がそうさせない)悪夢のような不幸せ。この社会で「母親」になる/「母親」であるということは、正気と狂気の狭間にその身を渾々と置くということなのかもしれない、と思う。弁護士の語ったような、キマイラの怪物を胸の内に飼いながら。

 


泣き叫んでいた母を、不機嫌に攻撃的に沈黙する母を、激情のままにわたしを明確に傷つける言葉を振り翳す母を、思い出す。彼女だってそうしたくてそうしていたわけではない(かもしれない)ことについて、考える。それでも愛だと、愛しているのだとのたまう彼女の卑怯さについて、考える。それでも、彼女がよい母親たるために、精一杯にやっていたことについて、考える。彼女なりにわたしを愛していたという、事実について、考える。

かつて母は、私を産んだことを幸福だと言った。今そう思えているならもちろん良いのだけれど、でも、そうでないときもあったはずだった。間違いなく。その、気の狂いそうな時間を彼女はどう乗り越えたのだろう。「母親」であることを放棄できず、乗り越える以外に方法のなかった時間を、どういう思いで過ごしたのだろう。母が不幸だとは思わない。でも、その事実だけのシンプルな話でもない。

エンドロールに入っても涙が止まらないなか、ふと、わたしは母をゆるさなければいけないかもしれない、と思った。いや、正確には、緩やかに、「ゆるす」という思いと考えが浮かび上がってきた、と表現するのが一番近いかもしれない。そもそも、彼女とわたしの間にあるものは、ゆるす、ゆるさないという単純な話ではないのだけど、母親というこんな苦悩を背負っていたかもしれないひとに、母親になってもいない/なる選択肢も考えていない人間が一方的に断罪をくだすのは違うのかもしれない、と考える。一方で、友人は、それでも、選択肢のない子供を傷つける理由や免罪符にしてはいけないのでは、と問う。母親をこんな「母親」たらしめる社会に責を問わなければいけない一方、確かにそれも正しい、と思う。ただ、この、複雑に絡み合って、最早その形すらもわからない、わたしの個人的な母との関係について、それへの考え方について、これまでと異なる視点を授けてくれたこの映画体験はわたしにとって僥倖だった。もう、変わることを望んでいない。変わるとしたら、長く遠い時間の経過の中でだけだと思っていた。でも、わたしは本当は行きたかった場所に行けるのかもしれない。映画館からの帰り道、そういう希望のような願望のような思いが蜃気楼のように揺らめいていた。

 

 

 

無事、昨年を繰り返すことなく師走を迎えた。ただ、緩やかな不調が続いていて、石のような孤独やそのさみしさや、ブラックホールのような憂鬱にのまれそうになっては、強制的に思考を閉じる日々を繰り返している。季節の中でも冬は好きな方だけれど、毎度同じような不調に見舞われていて、うんざりする。今月は引越しも予定しているので、できるだけ大きく挫かれることなく最低限の馬力で日々を過ごせるように祈るばかりだ。浮き足だった年末の空気はあまり肌に馴染まなくて好きではないのだけど、一年がちゃんと終わるというのは少しほっとする。穏やかに年末を迎えたい。

この季節を歩き終えるまで

十一月三日、休日。

木曜日の飲み会は、あまりにも疲弊させられ、削られることが多く、一次会で早々に帰宅した。この日は朝の9時からアポイントが詰まっていてかなり忙しかったのもある。ものすごく疲れていて、眠たかった。こういう時、適当に挨拶をしたりしなかったりして、さっさと集団から抜けられるのは、自分の良いところのひとつ。

翌朝、ちゃんと目覚ましどおりに起きることができたので、映画を観に行くことにする。起き抜けのベッドの上で、チケットを二作品分買って、準備をした。目黒シネマで開催中のライナー・ヴェルナー・ファスビンダー特集。「不安は魂を食い尽くす」と「マリア・ブラウンの結婚」の二本。

どちらも好きだったけれど、「マリア・ブラウンの結婚」は特に面白かった。テンポ感の良いエンタメ性も兼ね備えながら、マリアの力強い想いと信念が美しく、エンパワメントされた。人格的にも経済的にも「自立」した男女の結婚という、非常に現代的な視点もあって、すごく好きだった。衣装も美術も構図も素晴らしい。

映画を見終えて、最寄駅の近くまで戻る。贔屓のパン屋でキノコとボロネーゼのフォカッチャとアップルシナモンのパンを買った。まだ温かいパンを抱えて、コーヒースタンドでパンプキンラテと栗のマフィンも買う。そのまま、自宅までの二十分をフォカッチャとラテを食べ飲みながら歩いた。素晴らしいお散歩ご飯だ。住宅街を歩きながら、ときどき眩しいほどの西陽を受ける。風が柔らかくて気持ちが良い。全てのピースがあるべきところにぴったり嵌まるような感じがする、そういう完璧に近い日が時々あって、今日はきっとその日だ。私は一人遊びが本当に上手だと思う。これは、自分の結構好きなところ。

 


十一月十一日、休日。

映画を観るときは、部屋を暗くした方がいい。そうした方が、没頭できるから。視覚情報が少なければ少ないほど、わたしはわたしという実存を思考の隅に追いやることができる。映画を観ている時、「映画を観ている自分」はいらない。だから、真っ暗な部屋の中で観るのが好き。

今日はアロマキャンドルの香りが欲しくて、マッチを擦る。マッチを擦るときの音、先端に点る小さな火、パチ、という炎が爆ぜる音、キャンドルに火を移した後に吹き消すその瞬間、全てが好きだ。マッチを擦る瞬間に悪い記憶がないから。炎の揺らめきにはリラックス効果があるというけれど、それとは別の意味で、たぶん、マッチを擦って火を灯し、吹き消す、一連の行為がわたしは好きだ。 

シャンタル・アケルマンの「囚われの女」を観る。途中で寒くなって毛布を被った。ものすごく、美しい映画だった。ため息が出る。景色、表情、カメラワーク、構図、長回し、ショットとショット、車内シーン、室内の美術、衣装。淡々と描かれるディスコミュニケーション、諦念、特別ではない恒常的な絶望感、そして、誰も救うことはできない人間同士の「わかりあえなさ」。オルメイヤーにも通ずる、感情的なのに感情的でない、ペシミスティックでありながら、その悲劇は当然のように映画の根底に日常のようにあり、ただ淡々と描かれる、そういうアケルマン作品が好きだ。そして、オルメイヤーのラストでもそうだったのだけど、人と人の「わかりあえなさ」、そして、決定的にすれ違った/切れてしまった関係の不可逆性、修復不可能さについて、容赦なく描くところも良い。みんな仲良くなれました、めでたしめでたし、みたいな物語も嫌いじゃないけど、わたしはこういう、戻れなさ、みたいなもののほうが本物に思える。同監督のジャンヌ・ディエルマンのラストもそういう意味では近いかもしれない。何にせよ、私はアケルマンの映画が本当に心の底から大好きだ。出会えて本当によかった。

 


うつくしい季節を歩きながら、どこか憂鬱で不安だ。こころよい気候に気持ちは踊るのに、ふっと陰が差すような気がする。陰を予感している自分がいる。秋はいつも、大きな不安感を連れてくる季節だ。今年も、例年のそれと大きな差異はないのだけど、今年が違うのは去年にあったことをまだ鮮明に思い出せるからだ。十一月、この一ヶ月を乗り越えられるかどうかで、たぶん、このあと歩き続けられるかどうかが決まってしまう。そんな気がする。

去年のあのころに聞いてた音楽をふいに聴いたタイミングで、あのころのことを思い出す。本格的に体調がおかしくなり始めたのは十月の下旬頃からだったように思う。あの日々の毎日の感じ、毎日、胃が痛くてうまく食事が入らなかったこと。死にそうな気持ちで朝の通勤電車に揺られていたこと。度々トイレの個室で頭を抱えて、泣いていたこと。公園で秋晴れの綺麗な空を見ながら自分がなんのためになにをやっているのかわからなくて、涙が止まらなくなったこと。休職してからの日々。病院の前日、いつもよく眠れなかったこと。病院の待合室の、あの、明るいのに陰鬱な感じ、誰も元気がない、あの感じ。ちなみに、休職直前によく聴いていたのは、韓国ドラマ「シスターズ」のサントラ、Your Apartment。休職中に印象深く覚えているのはNewJeansのDittoとアニメ「東京喰種」のサントラ、GLASSY SKY。

繰り返されるような気がする。そんなことはないのに。そんなことは起こり得ないのに。また同じことが起こったらどうしよう、というシンプルな不安が、何度も何度も何度も、前を向いて進もうとするわたしを絡めとる。不安に足を取られて、くるしくなる。こわい、と思う。できるのなら、子供みたいに、こわい、と喚いて地面に座り込みたい。そういう衝動を抑え込みながら、普通の顔をするのは、結構つかれる。

昨日から、季節は様変わりしている。わたしはあと約半月を膝を折ることなく、歩いてゆけるだろうか。無事に年の終わりを迎えたい。そうありたい、と切実に願っている。

melting ice cream/さみしさ

わたしはアイスクリームを食べるとき、最も急いている。積極的にそうしたくてそうしているというより、そうしなければ、という強迫観念に襲われて、という方がちかい。タイムリミットが決まっていることや電車の時間など、状況によって急ぐことは人並みにあるけれど、日常的な動作の中では、アイスクリームを食べるときが、最も急いていると言える。あとは、渋谷の街中を歩くときとか。ことアイスクリームにおいては、多分、溶けて液体になるのがこわいのだと思う。その、なくなってしまった、という感じがやってくるのが、耐えられないのだと思う。でも、できれば穏やかな心持ちで、ゆっくりと楽しみたい。溶けたアイスクリームのことも愛せるようになりたい。

 


「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」(ペ・スア著/斎藤真理子訳/白水社)という、かねてより読みたかった小説を不意のタイミングで手に入れた。この本は、あまり価格が安くはないので、そのときが来るまで買わないでいた本たちのうちの一冊だった。"そのとき"とは、タイミングのこと。誕生日とかご褒美とか、わかりやすい区切りである必要はなくて、今買いたい、と思った時が"そのとき"になる。そういう本がわたしにはたくさんある。今回も別に特別な日ではなかった。本屋で目に入って、表紙を開いて一頁目を読み始めたら、止まらなくなってしまった。そういうことって結構あるよね。洋服も、試着すると買ってしまうし、似たようなことだと思う。

 

まだ全てを読み終えてはいないのだけど、素晴らしい文章が綿々と続いており、ずっと胸を揺さぶられている。

 

『(…)誰かの体があなたを捨てていった。誰かがあなたを紛失した。だが、今私たちの前に任意の体で座っている、一時的にパウロと呼ばれているのは誰だろう? あなたは誰かがなくしてしまった存在だ。それであなたは際限もなく迷うのだ。誰もあなたを知らない。あなたは地面に足のつかない身体だ。あなたはあなたではなく、死んだ蛍たちが舞い降りて形作った光の輪郭にすぎない。

(…)なぜならあなたを捨てた体は、もしくはあなたが捨てた体は、すでにあなたを忘れているからだ。その体がもうないからだ。森で野犬たちに食われてしまったからだ。あなたのすべては名前と同様、臨時のものだ。あなたには帰るところがない。あなたを捨てた体を求めて永遠にあちこちと空しく動き回ることだろう』(「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」p.35-36)

 

わたしは、パウロと呼ばれる「同行者」の男を巫女が表現したこの台詞たちに惹きつけられてやまない。一度読んで、二度目は声に出して読んで、なぜか涙が出た。その日の夜、布団に入ってから、涙の理由に気がついた。わたしはこれを羨んだのだ。誰かが捨てた体。誰かが紛失した体。元の誰かの記憶を持たない体。死んだ蛍たちが舞い降りて形作った光の輪郭。わたしはわたしの手放したい人生のことを思い返す。わたしはわたしのことをすっかり全て忘れてしまうか、全部をやめてしまうか、どちらかを選びたい。もうずっと選びたいのだ、と思って、やっぱり涙が出る。

 

遅れて現れた睡眠薬の効果の中で、私は一度に押し寄せてきた測量できないほど深い夜を経験しているところだった。マラリアの薬と一緒に服用した睡眠薬はまぶしいほどの夢を構築していた。夢の中で私は、眠っているのでもなく目覚めているのでもなかった。(…)もう空に太陽はなかった。だが完全な夜ではなかった。獣の鳴き声のような波の音、そして同行者が本を読む声の中で私は眠り、歩いた。私は眠り、踊った。私は完全にうなだれて眠ったままで遠くまで行った。私の歩みは地面から少し浮いたまま、地面を踏まず、まるで鳥のように……私は遠ざかっていた。何から? 私の同行者の声から。おそらくそれを聞いている私から。今ここから。まるでこの世に初めて生まれてきた日のように、私は疲れに疲れ果てていた。(「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」p.52-53)

 

測量できないほど深い夜。まぶしいほどの夢を構築していた。まるでこの世に初めて生まれてきた日のように、私は疲れに疲れ果てていた。

美しい文章と、美しく選択され、練られた言葉たちの連なり。透き通って明るく鳴る水の流れを聞いているような世界観。手のひらの指と指との間からこぼれ落ちる砂のような情景。この世界にいるときは安全だ、となぜか思う。没頭する物語に出会えて幸せだ。

 


連休中に会った友人と、普遍的な孤独について話をした。最近、大好きな親友と自分があまりにも違うということに打ちのめされてしまって、立ち直れない。なんでこんなにさみしいんですかね。なんでなんだろうね。答えは出なくて、騒々しいカフェに生温い沈黙だけが落ちた。いつのまにか話題が変わって、わたしたちはなんでかわからないけれど孤独という事実を知っていて、さみしい、ということだけが残った。孤独は気づいてしまったものにだけやってくる。たくさんの人と群れ、繋がりを作り、共生する人間が、本当の本当はひとりきりであるということに気づいてしまったものだけに。

漫画「違国日記」で、主人公の朝も「さみしい」と言う。その孤独という名の砂漠の中で、朝はそこ以外の場所へは決して行けないのだけれど、遠くで手を振るえみりに気づく。槙生の深く、言葉にならない愛情を知る。わたしたちはみんな違うから、分かり合えない。決して相手を分かりきることも、相手に完全にわかってもらうこともない。それでも、分かり合おうとすることが尊い。わからない相手を慮り、心を配り、砕き、日々の幸せを願い合うことが、わたしたちにできる唯一のことだ。それは、孤独を埋めはしないけれど、慰めにはなる。孤独の寒々しさだけでなく、そのあたたかさについてもっと考えられるといいのに。

 

アイスクリームがなくなることを恐れることは、誰もが持ちうるこのさみしさに悶えることとつながっている。どちらも、変えようのないこと、防ぎようのないことを受け入れることなどに似ていて、きっと恐らくわたしにはそれが難しい。固形から液体へと融解していくアイスクリームは決してなくなってなどいないのに。確かにわたしたちは交わることも溶け合うこともできないひとりきりの孤独と不可分だけれども、それだけが人生の真実の全てでもないのに。特別不幸でもない自分の人生を手放したがるとき、それはこのさみしさ故ではないのだけれど、例えばこの普遍的孤独に気付くことのできない側の人間だったら。そうだったら、こんな感情は今ここにはなかったのだろうな、と思う。