日曜、曇り時々雨の午後と夕方の間に思い出すこと

体も心もくたくたのバイト帰り、喫茶店で珈琲と焼き立てスフレを注文する。上間陽子の海をあげるを読んだ。昨年の誕生日前に、離れて暮らす弟から、誕生日何が欲しい?と連絡が来たので、欲しい本のリストを送った。後日、その中の三冊ほどがAmazonで送られてきた。そのうちの一冊だった。

帰り道をゆっくり歩く。いい喫茶店だった。ぼんやりしていたら後ろから来た自転車に乗った小さな男の子に轢かれそうになって、ごめんね、と謝った。道すがら寄ったスーパーは日曜の夕方らしく連れ立って買い物する客が多かった。わたしはひとりで狭い店内をどんどん進んでいく。ラミーのチョコレートアイスが最近のマイブームだった。二つ籠に入れて、レジに向かう。

煙草を買った。どうせ身体に悪いのなら、多少高くても美味しい銘柄を吸った方がよくないですか、とバイト先の同僚に言われて、妙に納得したことをよく覚えていたけど、いつも通りの安い方を買った。ラッキーストライクの紫の5ミリ。メビウスのオプションパープルの下位互換だよ、と仲のいい先輩が教えてくれた銘柄。少し強い風が時々わたしの前髪を攫う。わたしが吐いた白い煙はあっという間に風に連れて行かれた。曇り空は少し明るい。雲の上で、きっと太陽が西に傾いていっている。わたしは外の景色を眺めるのが好きだ。窓際が好きだった。車窓から流れる景色が好きだった。いまでもずっとそう。隔たれながら、繋がっている世界を感じられるから好きだった。ここだけじゃない、今だけじゃない、わたしだけじゃない、絶対じゃない、そういう、自分という実体以外の何かを感じ取ることが、自分に閉じ籠もってしまうわたしを慰めてきたのだと思う。必要だったのだと思う。

あなたなら大丈夫だよ、しあわせになれるよ、と言ってくれた大事な友達のことを思い出す。三年前、神保町の喫茶店でのこと。昔からの癖で他人の目が必要以上に気になる性格だった。他人の目や、コミュニティの中での自分の立ち位置。教室で浮かないために、"普通"でいるために、あるいは虐げられない"強者"でいるために、十代のわたしはそうして自分の身を守っていた。そしてそれは見栄やくだらないプライドという虚しい武装になっていった。ほとんど唯一、それらで心を守らなくても安心して話ができる、その友達のことを考える。大丈夫だよ、それでいいよ、あなたはあなたのままでじゅうぶんなんだよ、と言ってくれる、その安心感について考える。どうやったらわたしはもう少し、良く生きられるだろうか。

しあわせだったときがあったはずなのに、愛されていた思い出がなかったわけがないのに、なにも思い出せないんです、つらかったことしか、傷つけられたことしか、思い出せないんです、とカウンセラーさんに話したことを思い出す。この問題と向き合い始めてから、傷つけられたことは何度でもよく思い出せるのに、愛されていた、幸せだと思った記憶がひとつも思い出せないことをとても苦痛に感じていた。恨んだり憎んだりすることよりも、つらかった。(ひとは防衛本能のようなものによって、痛かったことや辛かったことは特別強く記憶してしまうらしい。だから、辛かったことばかり覚えているのは決して悪いことではないのだとカウンセラーさんが教えてくれた。)考えても考えてもなにも出てこなかったのに、昨晩、なにかの弾みでふと、食事のことを思い出した。母の作るミートソースのスパゲティが大好きだった。今でもあのトマトが少し強いソースの味をよく思い出すことができる。ハンバーグや唐揚げの入っているお弁当だと嬉しかったことも思い出した。母の作る食事が好きだったこと。食事がしあわせだったこと。誕生日に食べたケーキのこと。母が仕事の帰りに買ってきたケーキをみんなで食べた。食事の時間はばらばらで、母も父もテレビが好きではなかったのでリビングで集まることもなく、全員が揃う時間が決して多くはない家族だったけど、ケーキだけはみんなで食べていたこと。このお店は絶対に美味しいと思ったのよ、と自慢げに話す母のこと。ほんとうだね、すごくおいしいね、とみんなで笑った夜のこと。

今日行った喫茶店は、最近偶然グーグルマップで見つけて気になっていた喫茶店だった。この街に越してきてからもうすぐ二年、感染症の蔓延や多忙を理由に自宅と駅との往復ばかりだった。初めて行ったお店だったけれど、とても居心地の良いお店だった。きっとこれから何度も通うだろうな、と思うようなお店だった。とても自分にしっくりくるお店だった。先週末に小津安二郎東京物語を観てからぼんやりわかったことがある。もういいよって言うまでどれくらいかかって何が必要なのかずっと考えていた。でも、結局わたしの人生を変えられるのはわたししかいないし、わたしはあの人とは全く違うところで、完全に別個の人生や生活を作ること、その実感を確かに得ることでしかいまのこの苦痛の記憶とセットの親子という関係の形の解釈を変えられないのかもしれない、と思う。親と子、家族であるという事実は変わらないし、それを変えたいわけではない。でも、わたしはわたしの人生をわたしひとりで決めて、ひとりきりで大人になってゆくことをこれからは選ばなければいけない。そうしていくことが、忘れるより許すより、わたしと苦痛のこの関係を変えるのかもしれない。確信を持てるほどではないけれど、でも、なんとなく、そこに道があるような気はしている。ぼんやりと、そう、思っている。喫茶店を出てから、こうやって街を知ることで街を好きになって、見知らぬ街は自分の街になっていくんだなあ、と思った。心を、もう帰さない。あの街に決して帰さない。わたしはひとりで、ひとりきりで、この街で生きていくんだなあ、と思った。自分の掌でその実感を大事に大事に握り締めて、帰り道を歩いた。