この季節を歩き終えるまで

十一月三日、休日。

木曜日の飲み会は、あまりにも疲弊させられ、削られることが多く、一次会で早々に帰宅した。この日は朝の9時からアポイントが詰まっていてかなり忙しかったのもある。ものすごく疲れていて、眠たかった。こういう時、適当に挨拶をしたりしなかったりして、さっさと集団から抜けられるのは、自分の良いところのひとつ。

翌朝、ちゃんと目覚ましどおりに起きることができたので、映画を観に行くことにする。起き抜けのベッドの上で、チケットを二作品分買って、準備をした。目黒シネマで開催中のライナー・ヴェルナー・ファスビンダー特集。「不安は魂を食い尽くす」と「マリア・ブラウンの結婚」の二本。

どちらも好きだったけれど、「マリア・ブラウンの結婚」は特に面白かった。テンポ感の良いエンタメ性も兼ね備えながら、マリアの力強い想いと信念が美しく、エンパワメントされた。人格的にも経済的にも「自立」した男女の結婚という、非常に現代的な視点もあって、すごく好きだった。衣装も美術も構図も素晴らしい。

映画を見終えて、最寄駅の近くまで戻る。贔屓のパン屋でキノコとボロネーゼのフォカッチャとアップルシナモンのパンを買った。まだ温かいパンを抱えて、コーヒースタンドでパンプキンラテと栗のマフィンも買う。そのまま、自宅までの二十分をフォカッチャとラテを食べ飲みながら歩いた。素晴らしいお散歩ご飯だ。住宅街を歩きながら、ときどき眩しいほどの西陽を受ける。風が柔らかくて気持ちが良い。全てのピースがあるべきところにぴったり嵌まるような感じがする、そういう完璧に近い日が時々あって、今日はきっとその日だ。私は一人遊びが本当に上手だと思う。これは、自分の結構好きなところ。

 


十一月十一日、休日。

映画を観るときは、部屋を暗くした方がいい。そうした方が、没頭できるから。視覚情報が少なければ少ないほど、わたしはわたしという実存を思考の隅に追いやることができる。映画を観ている時、「映画を観ている自分」はいらない。だから、真っ暗な部屋の中で観るのが好き。

今日はアロマキャンドルの香りが欲しくて、マッチを擦る。マッチを擦るときの音、先端に点る小さな火、パチ、という炎が爆ぜる音、キャンドルに火を移した後に吹き消すその瞬間、全てが好きだ。マッチを擦る瞬間に悪い記憶がないから。炎の揺らめきにはリラックス効果があるというけれど、それとは別の意味で、たぶん、マッチを擦って火を灯し、吹き消す、一連の行為がわたしは好きだ。 

シャンタル・アケルマンの「囚われの女」を観る。途中で寒くなって毛布を被った。ものすごく、美しい映画だった。ため息が出る。景色、表情、カメラワーク、構図、長回し、ショットとショット、車内シーン、室内の美術、衣装。淡々と描かれるディスコミュニケーション、諦念、特別ではない恒常的な絶望感、そして、誰も救うことはできない人間同士の「わかりあえなさ」。オルメイヤーにも通ずる、感情的なのに感情的でない、ペシミスティックでありながら、その悲劇は当然のように映画の根底に日常のようにあり、ただ淡々と描かれる、そういうアケルマン作品が好きだ。そして、オルメイヤーのラストでもそうだったのだけど、人と人の「わかりあえなさ」、そして、決定的にすれ違った/切れてしまった関係の不可逆性、修復不可能さについて、容赦なく描くところも良い。みんな仲良くなれました、めでたしめでたし、みたいな物語も嫌いじゃないけど、わたしはこういう、戻れなさ、みたいなもののほうが本物に思える。同監督のジャンヌ・ディエルマンのラストもそういう意味では近いかもしれない。何にせよ、私はアケルマンの映画が本当に心の底から大好きだ。出会えて本当によかった。

 


うつくしい季節を歩きながら、どこか憂鬱で不安だ。こころよい気候に気持ちは踊るのに、ふっと陰が差すような気がする。陰を予感している自分がいる。秋はいつも、大きな不安感を連れてくる季節だ。今年も、例年のそれと大きな差異はないのだけど、今年が違うのは去年にあったことをまだ鮮明に思い出せるからだ。十一月、この一ヶ月を乗り越えられるかどうかで、たぶん、このあと歩き続けられるかどうかが決まってしまう。そんな気がする。

去年のあのころに聞いてた音楽をふいに聴いたタイミングで、あのころのことを思い出す。本格的に体調がおかしくなり始めたのは十月の下旬頃からだったように思う。あの日々の毎日の感じ、毎日、胃が痛くてうまく食事が入らなかったこと。死にそうな気持ちで朝の通勤電車に揺られていたこと。度々トイレの個室で頭を抱えて、泣いていたこと。公園で秋晴れの綺麗な空を見ながら自分がなんのためになにをやっているのかわからなくて、涙が止まらなくなったこと。休職してからの日々。病院の前日、いつもよく眠れなかったこと。病院の待合室の、あの、明るいのに陰鬱な感じ、誰も元気がない、あの感じ。ちなみに、休職直前によく聴いていたのは、韓国ドラマ「シスターズ」のサントラ、Your Apartment。休職中に印象深く覚えているのはNewJeansのDittoとアニメ「東京喰種」のサントラ、GLASSY SKY。

繰り返されるような気がする。そんなことはないのに。そんなことは起こり得ないのに。また同じことが起こったらどうしよう、というシンプルな不安が、何度も何度も何度も、前を向いて進もうとするわたしを絡めとる。不安に足を取られて、くるしくなる。こわい、と思う。できるのなら、子供みたいに、こわい、と喚いて地面に座り込みたい。そういう衝動を抑え込みながら、普通の顔をするのは、結構つかれる。

昨日から、季節は様変わりしている。わたしはあと約半月を膝を折ることなく、歩いてゆけるだろうか。無事に年の終わりを迎えたい。そうありたい、と切実に願っている。