2022年 映画のはなし

今年、観られてよかった作品を振り返る。

映画は去年に比べて数は全然観られていない。でも、映画館には、仕事がある中で行けていた方だと思う。今思うと、新しい生活やこれまでと全く違う人々との付き合いに翻弄される中で、自分のかたちを保つために映画館に通っていたのかもしれない。11月後半以降は引き籠っていたので何も観ていない。それより以前に観ていた中で、今でも強く印象に残っている作品たちについて、思い出してみる。

 

今年日本で封切りになった映画で観た中では間違いなく一番良かった。劇場公開時と早稲田松竹での上映で計2回観たが、2回観ても良かった。良かった、と言う言葉が粗末に感じるほどには、良かった。

親と子ども、大人と子どもというのは健全な関係を結ぶのが最も難しいように思う。絶対的な権力勾配の中で、子どもの心を損なわずに、かれを軽んじることなく、ひとりの意思ある人間として尊重して向き合うことは、途轍もなく難しく、愛や情や血縁だけではどうにもならないだろう。この映画の素晴らしいところは、その困難さについて描きながら、それでも、子どもを尊重の対象として愛を持って描き切っているところだ。私はその信念に心底共感するし、それ故に今年のベストムービーなのだと思う。

私は自分の子供を欲しくないと思う人間だけど、今生きる子どもたちには幸せになる権利があって、その権利を守れる大人になりたいと思っている。子どもやかれらの教育機会は、度々、かれらが望まないところで周囲の大人によって損なわれる。大人の影響から逃れて自立することは難しく、その人生の有り様が左右されてしまうことがある。私は、そういうことをできるだけ防ぐために動きたいし、自分では選べないものたちに囲まれたかれらを支援する大人でいたいというのが密かな夢だ。夢で、目標で、信念だ。子どもの"選べなさ"を理解した上で、かれらを損なわずに尊重したいと思う私とジョニーは重なって、より私をこの映画に引き込んだと思う。その困難さや、その困難さを受け入れトライし続ける劇中の大人たちの苦悩と挑戦は胸を打つものであったし、ジョニーとジェシーの対話はただただ愛おしく、あたたかくて、涙が出た。ずっと観ていたかった。1回目も2回目も、マスクをびっちょびちょにしながら観た。

 

思ったよりカモンカモンの感想が長くなってしまって、もうこれ以上書き続けるのが億劫になってきている。でも、今年観た映画を振り返っていたら、私にとってすごく重要な区切りのきっかけになったこの作品を年の始めに観ていて、入れないわけにはいかなかった。

長らく、家族、特に親、特に母親との関係性に消化し難いものを感じていて、去年の暮れ近くにそれが爆発した。内定先の研修やら卒論やらと多忙を極めていたのもあるが、夏頃に彼女から届くようになった反ワクチンの内容の連絡がそもそものきっかけだったのだと思う。それは、彼女についてずっと抱えていた苦痛とその記憶を思った以上に刺激していて、もうやり過ごせないほど辛くなってしまったと気づいたときには、完全に調子を崩してしまっていた。メンタルクリニックとカウンセリングに通い、彼女との記憶をイチから掘り起こして苦しんで、掘り起こして苦しんでいたのが年始から三月頃まで。この「東京物語」を観たのは二月の半ばだった。

以下、印象的だったシーンの台詞起こし。(句読点は字幕にはないもの)終盤、母親が亡くなったあと、自宅にて、末娘の京子と義理の姉の紀子が話すシーン。杉村春子演じる「お姉さま」は亡くなった母に手を合わせると、すぐに形見の着物が欲しいと話をする。

 

京子:お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて。あたしお母さんの気持考えたらとても悲しゅうなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子ってそんなもんじゃないと思う。

紀子:だけどねえ、京子さん。あたしもあなたぐらいの時にはそう思ってたのよ。

でも子供って大きくなるとだんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまぐらいになるともうお父さまやお母さまとは別のお姉さまだけの生活ってものがあるのよ。

お姉さまだって決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。

誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ。

京子:そうかしら。でもあたしそんな風になりたくない。それじゃ親子なんてずいぶんつまらない。

紀子:そうねえ。でもみんなそうなってくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ。

 

以下、Filmarksに投げた感想。

 

親子という関係は絶対に交わりを解くことができない互いの人生に不可分な関係として解釈されがちだけど、本当はちゃんと交わったのはあるいっとき 大人になっていけばいくほど、自分にしか切り拓けない人生と生活が自分が抱えるほとんどになる お姉さんのこと、観ていてすごく嫌だったけど、あの人はちゃんと自分の人生を生きている人だ、とすごく思った いまのわたしに必要な映画だったので観て良かった

 

親子はずっと親子ではあるけど、その関係をよいまま続けることに拘らなくてもいいのかもしれない、とやっと思えてきたのはこの映画を観たことが大きい。親と子と言えど、全く違う人生がそれぞれにある。私は、母と親子である人生ではなく、私だけの人生をちゃんと生きることでしか、この苦痛を手放せない。だから、母とは関係のないところでちゃんと自分の人生を作ろう、と思えたことで、少しずつ気持ちが回復した。

妻を亡くした義理の父と紀子の後ろ姿。舞台となる尾道の風景もとてもよく、いつか行きたい。

奇しくも「カモン カモン」の監督マイク・ミルズ小津への憧れから今作をモノクロで撮影したと知ったときは驚いた。「東京物語」で描かれる、フィクションで描かれがちな所謂"想的な家族"ではない(現実的)家族の在り方、その捉え方の価値観が私を慰めて支えたように、「カモン カモン」も、私の家族に対する容易に消化できないさまざまな想いや考え、記憶や感情を肯定して慰めてくれる大事な作品になった。同じ年にこの2作品に出会えたことは、私にとって、これからの私の人生にとって、とても大事なことだったと思う。よい出会いがあってよかった。映画を好きでよかった。

 

シャンタル・アケルマン特集。流行りのコロナに罹ったせいで上記含めた2作品しか観られなかったのが惜しい。とても惜しい。

濃密な198分だった。間違いなく2022年最高の映画体験だった。こんなジェンダーロール映画が他にあるか。同じ角度、同じ配置と構造で繰り返される動作に少しずつ綻びが出て、その綻びがあの壮絶なラストを示唆する。最後の数分は息を詰めて観た。

来年に早稲田松竹でやるみたいなのでもう一度観に行きたい。

 

2Kレストア版に賛否はあるようだけど、この破壊的に美しい色彩を小さな液晶でなくもう一度スクリーンで観られるなんてそれは最高だろうと思って、久しぶりに観に行った。大学二年かそこらのときに観たよりもずっと面白かったし、当たり前だけど画面が最高だった。美しい色彩と繰り返される詩のような台詞、アンナカリーナの奔放で力強い眼差し。初めて観た時に全身が沸き立った感覚を思い出した。残念なのは人生は物語(ロマン)じゃないということ、という台詞を終わったあともずっと覚えていた。以下、鑑賞した日にTwitterに投げていた感想。

 

大学二年になる春、初めて「気狂いピエロ」を観てから、私は美しい映画の虜になったんだと思う。ヌーヴェルヴァーグの映画たちに出会うきっかけになった映画だった。

ジャン=リュック・ゴダール、どうか安らかに。

 

 

上記4作品以外にも、今年観て良かった映画たちについて、少しだけ記しておく。

 

・「やさしい女」ロベール・ブレッソン (1969)

劇中、彼女の笑い声は聞こえても笑顔は一度も映されなかったのに、ラスト間際で少しだけ微笑む表情が映されて、それにぐっと胸を掴まれたような気持ちになった。誰かが感想で、ブレッソンは人の笑顔を信用していない、と書いていて、そうだとしたらその価値観は信頼できるなと思った。

大きくはためくカーテン、強風に煽られて倒れる机と滑り落ちる鉢と土、青空に舞う白いストールまで完璧なカットの組み合わせだった。あのシーンだけでも何度でも観たい。時々はっとするような配色のカットがあっていいなと思っていたら、ジャック・ドゥミの「ロシュフォールの恋人」と同じ撮影監督らしい。同じくブレッソンの「たぶん悪魔がで爆睡したので心配してたけどとても好きな映画だった。

 

・「ハケンアニメ!」吉野耕平 (2022)

物語に救われたことのある人間全員に刺さる映画。やりがい搾取映画という批評も割と散見されるし、実際の現場で働く知り合いから聞く製作現場の労働実態の話からもそれは間違いないのだろうと思う。でも、この映画が見せるアニメという物語が持つ力とその熱量に胸を熱くせざるを得なかったので、今回その批評は一度置いておきたい。ごめんなさい。

斎藤瞳がその人生を一本のアニメに変えられてしまったように、私も物語に人生を救われて、今なお救われ続けている最中の人間だ。だから、一本のアニメに救われた彼女が、そういうアニメを作りたいと思う彼女が、近所の男の子に『サウンドバック』を観せるシーンがめちゃくちゃに良すぎて涙が止まらなかった。自分がそうやって物語に出会った瞬間を思い出して、込み上げてきたものに叫び出したいような気持ちになった。私の人生を支えてきたものたちのことを思うと、それが似たような思いを抱いてきた人たちから届けられたものかもしれないと思うと、堪らなかった。

全ての物語の製作者のみなさん、いつも本当にありがとうございます。私は結局つくる側の道は選ばなかったけど、物語があるおかげで、今日もこうして生きていると、本当に心の底から思います。

 

「大人は判ってくれない」フランソワ・トリュフォー (1959)

奇しくもこの映画も大人と子供の映画。とてもおもしろかった。ラストの引きの疾走シーンがすごく綺麗だった。特集をやっているうちにドワネルものをいくつか観るはずだったのだけど多忙により叶わず。ぜひ来年もトリュフォー特集をやって欲しい。ヌーヴェルヴァーグの中で言えばかなり好きな方だと思う。

 

ウォン・カーウァイ特集で観た3作品「花様年華」 (2000)「恋する惑星」(1994)「ブエノスアイレス」 (1997)

映画たのしー!!と手を叩いて踊り出したくなるような映画だった。私はグザヴィエ・ドランのオタクなのだけど、彼にハマり始めた時と似た感覚だった。美術と衣装が美しい映画はやっぱり楽しい。ドランもだけれど、ウォン・カーウァイも総合芸術としての映画の面白さが詰まっていて最高だった。もう一度映画をちゃんと勉強し直したい。パンフレットもボリュームがあって、映画のキャプチャーショットのページのクオリティがすごくて、とてもよかった。

 

・「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」高橋渉 (2021)

クレヨンしんちゃんの映画がいいと気づいたのはここ1年ぐらいのことだ。本当に気づけてよかった。これもボロボロ泣いた。私は風間くんのあの切実な不安がよくわかる。大好きな友達と、ずっと変わらず友達でいたいよね。でも、いくら不変の友情を今信じることができたって、否応なしに私たちを取り巻く環境は変わっていく。年齢を重ねていけばいくほど、考え方や価値観が変わって、きっと今とおんなじ関係でいることはできない。それはすごく怖くて不安なことだ。焼きそばパン競争のラストパートを駆け抜けながら、風間くんはしんのすけに訴える。「いつかみんなバラバラになっちゃうんだ!」「新しい友達がどんどんできちゃうんだ!分かってるのかよ!」対してしんのすけは、こう返す。「オラ今しか分かんない!」確かに環境の変化も時間の経過も関係を変えるかもしれないけど、でも、できるならしんのすけのように今だけを見つめて、この友情が続くことを信じたい。信じていたい、と強く思う。

 

陽光たち

散歩の帰り道、金色の陽が当たる道を選んで歩いた。夕陽や青空、降り頻る雨たちなどの前で、わたしたちは等しくされる、と思う。わたしたちはみな、それらを平等に受け取らざるを得ないからだ。例えばわたしがいまどんな現実を生きていて、どういう人間かという個別具体的な事情をかれらは考慮しない。わたしがどんなグズでも、どんなに価値がなくても、わたしはこのうつくしい金色の陽にあたって束の間歩くことをゆるされる。陽光は誰もなにも、選ばない。わたしが日々直面せざるを得ない、複雑で切り離しがたい現実(凡そすべての"社会人"が背負わざるを得ない※ここでいう社会人とは社会参加し社会生活を営む全ての人間のこと)は金色の夕陽となんの関係もなく、わたしはそこから目を逸らし、目を瞑ることをゆるされる。

 

わたしがワンルームのベッドで毎日毎日毎日毎日、日がな一日蹲っているうちに、確実に時間が経ち、季節が進んでいる、と感じる。陽は短くなったし、肌を撫ぜる空気に柔らかさがなくなった。ぴしりと音がしそうだ。厳しくて無情な、つめたい冬。当然だ、師走も半ばを過ぎた。

毎日、昼過ぎにやっと意識がちゃんと覚醒してくる。起き上がると、とりあえずベッドの近くのカーテンを引く。この部屋でいちばん大きな窓だ。分厚い遮光カーテンがしっかり遮っていた昼の光が薄暗い部屋に広がって、わたしは一日を始める。ただ目の前の現実や、わたしの中に巣食う憂鬱から逃避するためだけにやり過ごす一日を。あるときは物語に没頭し、あるときは何度も何度も眠っては覚めてを繰り返し、あるときは過食にはしる。気がつくと、窓の外が真っ暗になっていて、カーテンを引く。いつも、夜の方がながい。

今日は調子が良くて、久しぶりに外に出ることができた。なんとか人間らしい生活を送れるようにならなければならない、という思いは現状への焦燥感からだけではない。弱いながら確実に、少しずつ、そう"したい"と思う自分が内側に出てきている。15時過ぎに家を出て、自宅から少し離れたところにある公園まで歩く。公園の方々に設置されたいくつかのベンチのうち、陽が当たっているものに座って持参した文庫本を読んだ。公園の隣のマンションが西陽を遮るように建っているので、陽が当たるベンチはひとつしかなかった。公園内は楽しそうに遊び回る子どもたちしかおらず、その特等席はわたし以外に見向きもされていないようだった。

暫くそこで過ごして、ゆっくり帰途に着いた。黄金色に照らされる道を思うままに選んで、出鱈目な経路で帰った。都会はものが多すぎるので、田舎の畑道のように陽光が目の前の景色いっぱいに広がることはない。でも、大小様々な建物に遮られ、限られた場所を照らす光も悪くはない。そこを通るとき、不思議と特別な感じがした。ゆるされている感じがした。わたしはやっぱり、傾いて色のついた陽の光がとても好きだ。

 

夜、久しぶりに中原中也の詩集を読んだ。長いこと本棚の奥で眠らされていた文庫本は、装丁が微かに歪み、ページの端の色が変わっていた。埃っぽいにおいもする。

かれの言葉は美しかった。今日は今まで読んだどの時よりも、かれの良さを理解できた気がした。おんなじ言葉を読んでいるのにね。不思議だ。

 

   "暗い後悔 いつでも附纏ふ後悔

 馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は

 やがて涙つぽい 晦暝となり

 やがて根強い疲労となつた

 

 かくて今では朝から夜まで

 忍従することのほかに生活を持たない

 怨みもなく喪心したやうに

 空を見上げる私の眼ーーー"

 

中原中也『汚れちまつた悲しみに』(集英社)より"木蔭"一部抜粋

後悔の先は疲労だとわたしも思う。そのことに今更気づいて、途方に暮れている。疲労の更に先は、忘れることだと思う。忘れることができないのであれば、選び直さなければいけないだろう。

まだ、こわい。だからいまは難しい。でももう、このトンネルの出口について、少しずつ考えなければいけないのだ、と思う。

最終日の卵と二度寝の夢

卵を茹でている。換気扇をつけないでいると、卵が鍋の底にごとごととぶつかる音や、水が沸騰して暴れる音が不規則に混じり合って聞こえてくる。9分のタイマーをかけて、その音を聴きながら本を読む。水の、水にしか立てられない音が好きだ。実家にいたころ、二階の自室で一階の風呂に水を溜める時の水が落ちる音を聞くのが好きだった。(ちょうどわたしの部屋の真下が浴室だった。)雨の中を歩くのは嫌いだけど、室内で雨の音を聞くのは好きだった。流れたり、落ちたり、伝ったり、暴れたり、生まれる。水の音。

卵の消費期限が今日であることに気づいたのは昨日だった。普段は食べない卵をどうして買ったのか。先日かかった病院でタンパク質を食べなさい、とさとされたからだった。でも、結局そんなに好きじゃないから持て余してしまった。炭水化物はあまり良くないから必要以上に食べないほうがよい、とも言われたけれど、結局パンや麺ばかり食べていた。台所に立つ気力がない日も多く、日がな一日ベッドに臥せってばかりだったのもある。

久しぶりに入眠してから途中に目を覚ますことなく、八時半まで眠れた。目覚めは朧げで、用を足してまた布団に潜り込むと、浅い眠りと中途半端な覚醒を行ったり来たりして、また眠った。

居心地の悪い夢を見た。職場で親しかった人たちが順番に出てきた。かれらと何を話したかは、目覚めたときには忘れていた。気がつくと、新宿のどこかから自宅まで歩いて帰ろうとしていて、帰り道がよく一緒になる同期の男の子に、駅から高田馬場までの歩き方ならわかる、と話していた。飲み歩いていて終電を逃した学生らしき集団などのひとの流れに乗って、真夜中から早朝までを歩く。あっという間に日が差してきたので、だんだんとこれが夢であるということがわかってきた。なぜか新宿駅の南口が見えてきたところでわたしたちはその方向に向かって下りだし、歩道橋らしき階段を上って降りようとすると、宙に浮いた梯子が遥か下の方まで下りていた。全く見覚えはなかったけれど、それがわたしの目的地までに必要な道だと理解できた。暫く降りて、下を見ると、先に途中まで降りていた見知らぬ若い女の子たちがわたしを見上げて笑っている。また少し降りたところで、十数個先の梯子と梯子の繋ぎが緩められていることに気づいた。自分より上の方にひとの気配はするけれど、誰も何も言わない。降りてきているのかもわからない。女の子たちは時々互いに目を合わせて何か言葉を交わし、わたしを見遣って笑っている。朝陽が彼女たちに降り注いでいるので、その表情がよく見えた。背後にビルでもあるのか、わたしの身体はまだ暗いところにいる。わたしは彼女たちを見つめる。もう一段、下に足を掛けると、繋ぎが外れた。落ちる、と思った。下は建物の足場だけが残った更地だった。すぐ横に使われていない線路が何本も広がっている。そこで、これは夢だ、と意識のどこかが強く言って、目が覚めた。全身、特に頭がひどく重たい目覚めだった。しつこく絡みついてくる眠気から這うように抜け出す。枕元のiPhoneを手繰り寄せて画面を見ると、あと数分で正午になる時間だった。

昨日は感情の波が激しく、衝動的な一日だった。対して今日は無に近い。やりたいことも食べたいものもなく、怖いことも悲しいことも寂しいこともない。不安と恐怖に目を瞑って布団の中で丸くなることもない。でも、心が動かない。針は振れずに沈黙している。緩慢とした煩わしさだけがあって、思考も無駄に遠い方へ歩いていかない。静かな一日だった。茹で上がった卵を半分に割って塩で食べたあと、ものすごく久しぶりに煙草を吸った。ちゃんと一本吸ったけれど、あまり美味しいと思えなかった。箱の中身はあと四本。もう新しく買うことはないかもしれないなあ、と思った。

どうやら今日で十一月が終わるらしい。

荒地に手向けの花束を

無秩序な感情たちが暴れ回ってゆっくりと憂鬱の形になっていく。わたしは布団に臥せる。毛布を抱き締めて、目を瞑る。朝の新しくて眩しいことの、なんてつらいことか。この途方もないしんどさ。ずっと、わたしの気が済むまで今日が終わらないでいればいいのに、と思うけれど、思ううちに今日は終わって、明日の幕が上がる。わたしの気持ちを置き去りにして、何もかも、前へ進んでゆく。朝になって、目が覚めて意識が覚醒してくると、まず、胸の底の重たい憂鬱と目が合う。そこにそれがいることを思い出す。最悪な気分だ。呼吸が浅くて、少しくるしい。身体を横向きにして、壁を見つめる。深く息を吸いながら、どうにか思考を空っぽにしようと試みる。それしか、抗う方法がわからない。

先週の金曜に病院に行って、休職が決まった。月曜に引き継ぎを済ませ、火曜から休みに入っている。そして休職三日目の今日、わたしは二十四の誕生日を迎えた。

大好きな親友にも会える気がしなくて、泣く泣く予定を断った。お気に入りのお店のコース料理。同期とのディズニーも、先輩とのご飯も。すごく楽しみにしていたのに。でも、いますぐに外に出たり、人と会って長時間話したり、元気に振る舞うことは難しそうだった。

この事態について、筋道を立てて説明するには恐らくまだ時間がかかる。わたしはずっと混乱していて、自分が置かれている現状について、自分の身に起きていることについて、未だ飲み込めないでいる。

きっと同僚が同じような状況になった時、自分はその同僚に対してそんなふうには絶対に考えないし、むしろそうすべきでないと諭すだろうと思うけれど、今はどうしても自分を否定して責めずにはいられない。真っ先にそういう言葉が思い浮かんでくる。こうなってしまった自分があまりにも受け入れ難い。励ましや労りや慰めや説得の言葉が全部、素通りしていく。わたしの中に残らなくて、なんだかそれも猛烈にわたしをむなしくさせる。また、毛布を抱き締めて目を瞑るしかない。自分に優しくしなきゃ、と思う。痛めつけていても、なりたい自分の形になれるわけじゃない。元気になれるわけじゃない。わかっていても、嵐のような感情や思考がやってきて、全部薙ぎ倒して、だめにしてしまう。その繰り返し。だから、新しい朝が、出勤していた頃と変わらず、絶望の朝。思考を止めていられるときだけが安らかだ。

 

ふとチャンネルを回した番組で、ショパンノクターンが流れていた。それがどうということもなかったのだけれど、柔らかいピアノの音を聴いていたらぼろぼろ涙が出た。うつくしいものに慰められることはよくあることだと思う。(今日はそれからずっと聴いている。どこを切り取ってもうつくしい旋律が続いていて、ずっと聴いていられる。)

ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9の2

ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9の2

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花を見たい。美しい、色の多い花束を、見たい。一昨年のとてもつらかった頃、蕾で買って生けていた芍薬が綺麗に花開いたとき、そのあまりに安らかなうつくしさにひどく慰められた。もうすこし元気になったら、花を買いに行こう。この時期に芍薬はないだろうけど、すこし大振りな花を買って、花束を作ろう。まだ、部屋の隅のベッドから起き上がれないままだけど、この荒れた部屋に花をいけることを考える。息を深く吸って、その花束のイメージについて、ゆっくり考えている。

窓の向こうの生活について

アパートの近くの駐車場で煙草を吸いながら、周りの家々やアパートの窓を眺めるのが好きだ。明かりがついていたり、真っ暗だったり、ちょうどいま明かりがついたり、窓の向こう側を人影が横切ったりするのが見える。いずれもひとの生活を感じる。それを感じるとき、自分の生活についての苦痛から目線が逸れて、気持ちが和らぐような気がする。自分一人ではないのだろう、という実感。一人暮らしは性に合っていると思うけれど、自分に起きたリアルタイムな出来事や感情を、プライベートな環境ですぐに人に共有できないデメリットは確実にある、ということに最近気づいた。わたしのように大人数の人付き合いが得意でない人間は特に。口に出して話をすることで、誰かに伝えることで、モノの見方が変わることは往々にしてあり、それができない時、思考は同じところを何度も巡って凝固してゆく。それがわたし自身を苦しめるときがある。なので、滑稽に見える話かもしれないが、知らない他人の暮らす家の窓を眺める時間は少しわたしを慰める。きっとみんな一生懸命生きている。しんどいことに歯を食いしばって、楽しいことに笑って、美しいものに感動して、悲しいことに嗚咽して、みんな生活をしてる。決して楽ではない生活を積み重ねている。そんなことを考えたりする。


身体が重い。実際に重いのか、気持ちの状態がそうさせるのか、わからない。感情に靄がかかったように感じる。ここ最近、嬉しいとか怒りとか悲しいとかたのしいとか、そういう感情をうまくはっきりと感じることができなくなった。胸の真ん中で薄い膜に包まれて、「嬉しい(?)」みたいな感情がいる。恐らく「嬉しい」なのだろうけど、直に触れることができないので、カッコ付きではてながつく。

原因はなんとなくわかっている。仕事に追われているから、ということと、仕事のために鈍くなろうとしているから、ということの二つ。忙殺という言葉はよく考えられた言葉だと思う。忙しさが濁流のようにわたしを押し流してゆく。目の前の仕事一つ一つに感情を持っていたら疲れてしまうし、そんな暇はないし、できるだけ鈍くいた方が嫌なことがあったときうまく距離を取ることができる。鈍くなろうと鈍くなろうと、頑張っている。

これは最近気づいてしまったことなのだけど、この仕事は考えないで言われたことをそのまま行動に移していけるひとに適性がある仕事だ。日々、ものすごいスピードで事態が変化していく。それに真っ先に適応していくことを求められる。どちらかというとじっくり考えることが得意な自分にこの適性はない、と思う。求められるスピードで行動できるようになることが成長であると言われればそれはそうなのだろうけど、自分がそう望まないことを無理してやることを成長と言うのかはわからない。

いよいよ体調にも影響が出てきたので、周りに心配をかけてしまっている。毎日強い不安感があって、胃が痛い。病院で処方された胃薬は効かなかった。ひとと関わるのがこわい。人間という不確定要素のかたまりを商材にする仕事をわたしみたいな人間がやるべきじゃなかった、ということに薄らと気づき始めている。(この言い方が既にすごくいやだ。無意識に書いていて、なおいやだ。)社内の人のことは好きだけど、業務のほとんどが社外対応なので、それがあまり慰めにならないのが悩ましいところだ。

どうするかはなにも決まっていないので、来週も変わらず出勤するだろうと思う。朝、思考を止めて起きて化粧をして、目を瞑って電車に乗って、トイレで呻いて、客先の近くの公園で蹲って、不安感や憂鬱をやり過ごす。友達の優しいラインを読み返して少し泣いたりする。考えると叫び出したくなるので、考えないようにする。黙々と目の前の仕事をこなす。

ただ毎日積み重ねるだけの生活がこんなに大変で難しいものとは思わなかった。大変で難しくてつまらなくてくるしい。くたくたになるまで仕事をして食べて眠るだけの生活は、むなしい。思考を止めて息をするだけの時間は、わたしをゆっくりだめにしていっている。

遠い遠い遠いところへ

遠い遠い遠い、ここではないどこかへ行きたい。遠い遠い遠い遠い遠い遠い遠い場所。長い人生を思うと憂鬱で堪らなくなる。いいや、違う。長いから憂鬱なのではない。かなしいから、憂鬱なのだ。でも、かなしいことをひとせいにしてはいけない。わたしは、選んだ。今もなお、ここを選んでいる。だから、望むなら、違うほうを選ばなければいけない。

休日が終わる夜、どうしてこんなに苦しい思いをしなければならないのか、その理由について考えている。わたしはこわいものが多い。そして、こわいものから距離を取るのが上手ではない。あっという間にのまれて、容易く見失う。見失ってはいけないものを、見失う。蜘蛛の巣のような憂鬱を振り払っては振り払い、足元を見ながら這うように進み、気がつくと、戻れない場所に来ている。自分より大事なものがない。それでよい時期もあった。でも、今は違う。わたしはわたしのことをじっくり考えたり、心を傾けて大事にしたりするのが苦しい。そうしているうちに、自分のかたちがわからなくなる。行きたい場所へ行けなくなってしまう。

先週、わたしの数字の大部分を担っているクライアント先から大きめのクレームを受けた。何度かこういうことを経験するうちに、仕事で痛いと思っても容易く涙は出なくなった。けれど、胸の底は重く、吸う空気は澱み、認知できる色彩は鈍くくすむ。途端に何もかもが退屈で、無気力になって、ただすべてを耐え凌ぐ消極的な生活になる。ただ流されていて終えられる仕事ではないから、何かをするにはお腹の底に少しだけ力を入れなければいけない。でも、その力が全く出ないときがあって、その猛烈な虚無感が憂鬱になり、心の柔らかいところを腐らせてゆくような気がする。わたしはそれがとてもかなしい。かなしくて耐え難くて、目も開けていられない。そうして凌いだ先にあるのは、今よりはちょっとマシな状況で、わたしはそれ以上になることができない。できるのかもしれないけれど、その想像が全くできなくて、それもわたしを苦しくさせる。

好きなバンドの新曲を聴きながら、雑多な街並みを歩く。週末に浮かれる人の群れをくぐり抜けて、映画館に急いでいく。喧騒が煩わしくて、音量を上げる。すると、五感のうちの聴覚がわたしの意識の大部分を支配するようになって、まるで音楽の中を泳いでいるみたいな心地になった。メロウなラブソング。ベースの低音がやさしく重たく響いて、気持ちが良い。武装していた心を解くように、余分なものをすべて捨て去るように、歩いてゆく。靴擦れした足が痛い。それでも速度を緩めず、歩き続ける。痛みが意識の外側に追いやられていく気さえする。まるでたのしく美しい物語の中の逃避行のような。よい夜へよい夜へ向かって、歩いてゆく。金曜日。のっぺりと続く平日とその日常からの解放を感じさせる、一週間のうちにたった一度しかない不思議な夜だ。

イメージする。軽やかに、飛び越えてゆく様子を。その足先の跳ね上がり、ふくらはぎの筋肉、遠くへゆくために伸ばした太腿。足に合わないパンプスも脱ぎ捨てて、ここじゃないどこかへ駆ける。襲いかかり、蝕もうとするものたちを飛び越える。何度でも、何度でも何度でも。望む方へ駆けてゆく。そう、イメージする。

実際わたしにそんな軽やかさはないし、日々は地道な積み重ねの連続だ。でも、わたしはここではないどこか遠い遠い遠いところで、このかなしみを手放したい。手放すほうを選びたい。そうして自分の力で、ここじゃない場所を選べるようになりたい。

思い出と抱擁/また会えますように

夜、小窓を開けて、煙草を吸う。煙が上がっていく先を辿ると、雲が流れてゆく空が見える。星は見えない。周りのアパートやマンションの建物に遮られて見える範囲が狭いので、月も見えない。東京の真っ黒な夜空を見ると、実家のあるまちの、満天の星空を思い出す。わたしはあの田舎町にいい思い出が少ないけれど、あの息を飲むほどに美しい星空を眺めながら自転車を漕ぐ帰り道は結構好きだった。ただ畑や田んぼと一軒家が長く続くだけの何もないまち。その上に果てしなく広がってゆく、美しい光で埋め尽くされた夜空。好きな景色の一つだった。でも、今こうして東京の狭いアパートの小さい小窓から眺める、狭くてつまらない、真っ黒の空のことも嫌いじゃない、と思う。この街に満点の星空はないけれど、かつて暮らしたあのまちより、いま住むこの街の方がずっと好きだ。

 

高校時代からの親友と一泊二日の旅行に行ってきた。事前の準備の段階から恐ろしく楽しかったけれど、当日はその何倍も楽しかった。楽しいや嬉しいという感情がこんなに長くちゃんと続いて、わたしの中に残り続けてくれるのか、ということに心から感動したし、そういう時間によって、自分のこれから歩いてゆく道が確かに照らされた、と思った。わたしの命はこうして引き延ばされてゆくのかもしれない、と大袈裟でなく思う。

くだらない話もしたし真面目な話もしたし大事な話もたくさんした。昔から、どこに行くか、とか、何をするか、ということよりも、ただ話をする、ということがわたしたちには何よりも大事だった。今回も例に漏れなく、移動の道中も、桃狩りで桃を食べている時も、温泉に浸かっている時も、食事をしている時も、眠る直前まで、途切れることなく延々と話は続いた。話すことで、わたしたちはわたしたちでいる意味を知ることができるし、明日を生きていくために手を取り合うことができる。お腹が捩れるほど笑える話も、自分の傷や痛みについての話も、同じくらい、わたしの活力と養分になっていったように感じている。

肯定される。わたしがわたしであることをわたしでない他者に肯定される。他者はただの他者ではなく、わたしをよく知り、わたしが自分自身を預けたい、と思える他者だ。その奇跡のような出来事をお守りのように抱き締める。傷を晒してもらえる。その寄せられた信頼をきちんと受け止める。十分すぎるくらいにいつももらっている。だからわたしはちゃんとそれに応えられるように良く生きたい、と思う。

 

帰宅してから観た坂元裕二脚本のドラマ『初恋の悪魔』5話を観て、嗚咽するほどに泣いた。主に、椿静枝が鹿浜鈴之介にかけた台詞で。

「自分らしくしてればいつかきっと未来の自分が褒めてくれるよ。」「僕を守ってくれてありがとうって。」

終盤、鹿浜が子供時代の鹿浜に同じ言葉を伝え、抱き締めるシーンがある。わたしが、できることなら過去の自分にしたい、と思ってきたことそのままのシーンだった。痛みを受け、苦しみ、傷となった過去や現在とその記憶は、そのときには癒すことができないかもしれない。でも、いつかそんな自分を自分が抱き締めて褒めてくれる。戦ったのは、生きるしかなかったからかもしれない。膝を折ることを選べなかったからかもしれない。きっとこんな過去も現在もなかったほうがよかった、と思う。でも、その日々を生き抜いた自分を何より肯定してあげられるのは自分だけだ。わたしはこういう自己救済を信じたい。だから、同じようなこと言ってくれる人がいて、救われるような気持ちになる。そして、"自分"として生きること、それを肯定すること。他人の評価を自己評価にすり替えずに、きちんと自分を好きでいること。ちょうど今、見失いそうだったものを突き付けられて、涙が止まらなかった。

 

わたしは希死念慮と生きるタイプの人間だ。わたしは、それとわたしやわたしの人生を切り離すことができない。どんなに素晴らしいことが起きても、どうしても、生きていて良かった、生まれて良かった、生きたい、と本心から言うことができない。口にすることはできるし、それがある程度嘘でない場合もある。でも、その気持ちや思いを持続的に持ち続けることは難しい。必ず、できるだけ早く死にたい、と思う場所に戻ってくる。でも、今日のように、時々、今、自分の命が引き延ばされた、と思ったりすることがある。過去が過去として認識できて、現在を肯定的に捉えられたりすることがある。悲しい過去に寄り添われて傷を癒やされた、と思うことがあったりする。この夜がどれくらい長く続くかわからない。あまり自信もない。でも、いつか思い出したいと思ったときに思い出せるように、こうして形に残しておきたい、と思う。*1苦しくて堪らない日々の中にも、こういう日がちゃんとあって、優しさと慰めに泣いたこと、心に触れた感触、笑い合った記憶、手を繋いだ瞬間に、いつかちゃんと戻ってこられるよう、残しておきたい。

 

 

 

*1:「あの、過去とか未来とか現在とか、そういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。時間って別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか、その……別のところにあるもんだと思うんです。人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、3040、その時その時を人は懸命に生きてて、それは過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて。今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。」(『大豆田とわ子と三人の元夫』7話より)

わたしはこの小鳥遊の台詞と時間の考え方がとても好きだ。ループ量子重力理論という学説が元になっているらしいが、もう出会えない人や過ぎ去った思い出は時間や場所を超えて日常の生活の中に存在している、というこの考え方は、ここ最近のわたしをかなり支えている。

(参考:https://gendai.media/articles/-/84178?imp=0