思い出と抱擁/また会えますように

夜、小窓を開けて、煙草を吸う。煙が上がっていく先を辿ると、雲が流れてゆく空が見える。星は見えない。周りのアパートやマンションの建物に遮られて見える範囲が狭いので、月も見えない。東京の真っ黒な夜空を見ると、実家のあるまちの、満天の星空を思い出す。わたしはあの田舎町にいい思い出が少ないけれど、あの息を飲むほどに美しい星空を眺めながら自転車を漕ぐ帰り道は結構好きだった。ただ畑や田んぼと一軒家が長く続くだけの何もないまち。その上に果てしなく広がってゆく、美しい光で埋め尽くされた夜空。好きな景色の一つだった。でも、今こうして東京の狭いアパートの小さい小窓から眺める、狭くてつまらない、真っ黒の空のことも嫌いじゃない、と思う。この街に満点の星空はないけれど、かつて暮らしたあのまちより、いま住むこの街の方がずっと好きだ。

 

高校時代からの親友と一泊二日の旅行に行ってきた。事前の準備の段階から恐ろしく楽しかったけれど、当日はその何倍も楽しかった。楽しいや嬉しいという感情がこんなに長くちゃんと続いて、わたしの中に残り続けてくれるのか、ということに心から感動したし、そういう時間によって、自分のこれから歩いてゆく道が確かに照らされた、と思った。わたしの命はこうして引き延ばされてゆくのかもしれない、と大袈裟でなく思う。

くだらない話もしたし真面目な話もしたし大事な話もたくさんした。昔から、どこに行くか、とか、何をするか、ということよりも、ただ話をする、ということがわたしたちには何よりも大事だった。今回も例に漏れなく、移動の道中も、桃狩りで桃を食べている時も、温泉に浸かっている時も、食事をしている時も、眠る直前まで、途切れることなく延々と話は続いた。話すことで、わたしたちはわたしたちでいる意味を知ることができるし、明日を生きていくために手を取り合うことができる。お腹が捩れるほど笑える話も、自分の傷や痛みについての話も、同じくらい、わたしの活力と養分になっていったように感じている。

肯定される。わたしがわたしであることをわたしでない他者に肯定される。他者はただの他者ではなく、わたしをよく知り、わたしが自分自身を預けたい、と思える他者だ。その奇跡のような出来事をお守りのように抱き締める。傷を晒してもらえる。その寄せられた信頼をきちんと受け止める。十分すぎるくらいにいつももらっている。だからわたしはちゃんとそれに応えられるように良く生きたい、と思う。

 

帰宅してから観た坂元裕二脚本のドラマ『初恋の悪魔』5話を観て、嗚咽するほどに泣いた。主に、椿静枝が鹿浜鈴之介にかけた台詞で。

「自分らしくしてればいつかきっと未来の自分が褒めてくれるよ。」「僕を守ってくれてありがとうって。」

終盤、鹿浜が子供時代の鹿浜に同じ言葉を伝え、抱き締めるシーンがある。わたしが、できることなら過去の自分にしたい、と思ってきたことそのままのシーンだった。痛みを受け、苦しみ、傷となった過去や現在とその記憶は、そのときには癒すことができないかもしれない。でも、いつかそんな自分を自分が抱き締めて褒めてくれる。戦ったのは、生きるしかなかったからかもしれない。膝を折ることを選べなかったからかもしれない。きっとこんな過去も現在もなかったほうがよかった、と思う。でも、その日々を生き抜いた自分を何より肯定してあげられるのは自分だけだ。わたしはこういう自己救済を信じたい。だから、同じようなこと言ってくれる人がいて、救われるような気持ちになる。そして、"自分"として生きること、それを肯定すること。他人の評価を自己評価にすり替えずに、きちんと自分を好きでいること。ちょうど今、見失いそうだったものを突き付けられて、涙が止まらなかった。

 

わたしは希死念慮と生きるタイプの人間だ。わたしは、それとわたしやわたしの人生を切り離すことができない。どんなに素晴らしいことが起きても、どうしても、生きていて良かった、生まれて良かった、生きたい、と本心から言うことができない。口にすることはできるし、それがある程度嘘でない場合もある。でも、その気持ちや思いを持続的に持ち続けることは難しい。必ず、できるだけ早く死にたい、と思う場所に戻ってくる。でも、今日のように、時々、今、自分の命が引き延ばされた、と思ったりすることがある。過去が過去として認識できて、現在を肯定的に捉えられたりすることがある。悲しい過去に寄り添われて傷を癒やされた、と思うことがあったりする。この夜がどれくらい長く続くかわからない。あまり自信もない。でも、いつか思い出したいと思ったときに思い出せるように、こうして形に残しておきたい、と思う。*1苦しくて堪らない日々の中にも、こういう日がちゃんとあって、優しさと慰めに泣いたこと、心に触れた感触、笑い合った記憶、手を繋いだ瞬間に、いつかちゃんと戻ってこられるよう、残しておきたい。

 

 

 

*1:「あの、過去とか未来とか現在とか、そういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。時間って別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか、その……別のところにあるもんだと思うんです。人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、3040、その時その時を人は懸命に生きてて、それは過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて。今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。」(『大豆田とわ子と三人の元夫』7話より)

わたしはこの小鳥遊の台詞と時間の考え方がとても好きだ。ループ量子重力理論という学説が元になっているらしいが、もう出会えない人や過ぎ去った思い出は時間や場所を超えて日常の生活の中に存在している、というこの考え方は、ここ最近のわたしをかなり支えている。

(参考:https://gendai.media/articles/-/84178?imp=0