フォール・フォール・フォール!

 

 

 

正直、失恋を失恋として切り捨てることがこんなに体力のいることだと思わなかった。泣いたり喚いたり、そういう感情的なあれそれは三日と保たなかったけれど、憂鬱の波はいつになっても、引いてはやってきて、また引いては戻ってきた。

楽しいことはたくさんあった。幸福なことに慰めてくれる友達はいたし、そういう友達たちとの楽しい予定もたくさん入っていた。毎時間毎分毎秒がかなしかったわけでもむなしかったわけでもない。

でもそれでも、家に帰るまでの電車の中、終点に近づくにつれて周りの人がどんどん席を立っていって、一両に数えるほどしか人がいなくなるとき、あの夜を思い出してしまったりする。終電で帰った、あの夜。人気の少ない車内でふいにいろんな瞬間を思い出して、涙が出ないのに何度も顔を覆った。わたしではない女の子を好きなのかもしれないと言った彼の顔。好きなのかもしれないと言いながら、好き以外の何物でもないと雄弁に語るような視線、視線の落とし方。わたしはお酒のせいで火照った頬に何度も手のひらや手の甲を当てながら、無理に笑ってみたりした、あの時間。

自分の勘違いが恥ずかしくて、笑った。浮かれた気持ちが一瞬で萎んで、後に残ったのはどうしようもない虚しさだった。でも、そういう、発露したら涙腺に直結しそうなものは全部無視して、笑った。応援するよ、なんてするすると言葉が出てきて、言いながら気持ちが悪くなった。カケラもそう思えないのに言いながらそう思おうと必死なのが滑稽に思えた。

中高生の頃、流行りの少女漫画を読みながら、好きなひとの恋を笑って応援する所謂報われない系男子を見て、不毛な自己犠牲精神だと批判的な思いを抱いたことがあった。あの頃のわたしは全く、正しい。その通り、好きな人に幸せになってもらいたいだとか、自分の感情は差し置いて相手の恋を応援したいだとか、挙句には好きだという感情だけでいいだとか、そういう恋愛のお決まりのテンプレートは、不毛で、無意味で、非生産的なただの自己犠牲精神だ。でも、それは、他人が批判できるほどにシンプルな行動ではなかったと、今なら思う。

わたしはそんな感情を自然に純粋に抱けるほどお綺麗じゃない。だから、せめてもの自己犠牲で我が身を慰めるぐらいしか、できない。かの漫画の報われない系男子だってきっとそうだった。好きな人には誰だって嫌われたくないし、自分の印象は綺麗な印象だけで完結していてほしい。その保身的な、エゴともいえる願望を凌駕してまで好きなひとに振り向いてほしいとは彼は思わなかった。わたしもそうだった。内側がどんなに矛盾していても滑稽でも気持ち悪くても。阿保くさい、とあの夜わたしはわたしを笑った。矛盾を無視していい人ぶったわたしを笑った。でも、それだってひとつのやり方だった。今でも、あの日無理矢理にでも彼に笑ってみせたことは、わたしにとって最善だったと思う。きっと、そういうことなのだと、今は思う。

いろんな感情が混在していた。あの夜から幾日かは毎日いろんな感情が暴れては静まり、占有しては跡形もなく消えていった。(悪いことは続くもので、その頃、応募したバイトに落ちたり家族とうまくいかなかったりと良くないことがいくつか重なっていたのもきっと要因の一つなのだけど。)とにかくしばらくは自分でも抱えきれないような塊を胸の内で持て余していた。きっともう彼のことがすきだとか付き合いたいとか、そういう感情はとっくに終わっていた。けれど、いつまでたっても煮え切らない何かがわたしの中で暴れていた。日が経つにつれてわかってきたことなのだけれど、わたしが考え続けていたのは、彼のことではなく、自分の感情が切れた糸のように行き場所を失っていることだった。どこにも辿り着けない、終わりもない、ただ空中でふらふらと揺れている。失恋は恋を失うと書くけれど、では失った恋はどこへ行くのだろう。わたしはずっとそれがわからなくて、或いは失うということが理解できなくて、感情を彷徨わせ続けていたのかもしれない。そんな状態があの夜から、また二人が付き合ったと聞いたその夜から、続いていた。憂鬱だった。わたし以外の彼を含む他人は全く関係のないところで、ただただ、わたしだけが憂鬱だった。

ひとつ、区切りをつけることができてみれば、本当にわたしは、終わらせ方がわからなかっただけなのだろうなと思う。虚しい、憂鬱な気持ちを持て余して、区切りの付けどころに迷っていた。そして、ただ自然に、もう十分だ、と自分に引導を渡してやれる時が来た。

先週の日曜日、美容室からの帰り、午後の表参道を一人で歩きながら、思った。髪も切ったし、たくさん自分のためにお金も使ったし、適度に悪口も言ってすっきりさせてもらったし、もう、いいんじゃないかな。いいんじゃないかな、もう、すべて。

 

秋が終わる。目前に迫る冬に、可愛くて暖かいコートを用意しなければいけない。