傾いた陽のひかりたちについて

急速に季節は変わる。街が春にのまれる。朝番のバイト前、まだ少し肌寒い早朝の街を歩きながら、ふいに強い花の匂いを嗅ぎ取って、愕然とした。冬にはなかった甘くて鮮やかな香り。まだ遠いと思い込んでいた冬の終わりは、もう目の前を通り過ぎていたのかもしれない。あまりにも唐突に、なにもかもが変わってゆく。変わってゆくのを感じる。わたしはいまだ、それを受け入れて飲み込むことができずに、花の匂いなどにショックを受けたりしている。

朝番のバイトを終えて、帰りに最寄りから二駅隣のカフェで遅めの昼食を食べて、帰宅する。カフェで食事を待つ間、よしもとばななの鳥たちを読み始めた。(島崎藤村の破戒がまだ読みかけだけど、小さいバッグで分厚い文庫を持ち歩くのがなんとなく今日は煩わしかったので、積読の中からよしもとばななを引っ張り出してきた。)家に帰り着いて、ひと通りのすべきことをしたあとに部屋着に着替えると、大きい方の窓を開け放つ。そのまま布団に潜り込む。こうしてやっと、帰ってきた、という感じがする。心の半分は春を恐れている。春が連れて来る変化や終わりや始まりや祝福を恐れている。心の半分はよろこびを感じている。窓を開けると気持ちのよい日和や柔らかい風を、待っていた、と思う。きっと羽織るコートの重さにも飽きてきていたのだ、とすら思う。そんなちぐはぐさをわたしは持て余す。今年の春はもう同じことの繰り返しではない。今までの春だって、今までの三月や四月だって、それまでと同じであったことなんて一度もないけれど、今年の春はわたしの生活を大きく変えてゆく。そういう、それまでとは違う流れに乗っていかねばならない年だ。それは、いまのわたしにとってはとても恐ろしいことだと思う。自分の状態によっては、ゼロにも百にもなり得る。人生は簡単に変わる。選んだ選択肢が正しかったのかどうかの答え合わせは今すぐにはできない。もう少し先の未来でしかできない。それが間違っていたとわかったとき、躓いてしまったとき、わたしはまた苦痛のど真ん中で臥せるのだろうか。

昨年、冬に入る少し前に家の近くの煙草屋さんが閉店してしまって、その横にあった喫煙所も自動的に閉鎖された。人通りの多い通りで吸うのはやはり躊躇われるので、家で煙草を吸うことにする。うちはベランダのないワンルームなので、換気扇に一番近い窓を開けていつも火を付ける。十七時より少し前の時間は夕焼けの時間かと思ったけれど、思ったより曇り空で、窓の外の街の色はあまり変化がなかった。いつもならこのぐらいの時間は、右の窓枠に少し寄り掛かって真っ直ぐ目線を遣るとちょうど目に入る建物の壁が、傾いたオレンジ色の陽の光に照らされている。周辺の建物の位置や向きによって、一部分だけ、オレンジになっている。なんということのないその景色がわたしはとても好きだった。なぜ、とか、どういうところが、と聞かれるとうまく説明はできないのだけれど、ただ、白い壁の一部分にだけ光が当たる感じが、その色の感じが好きだった。その作り出されるひかりにも影にもおそらく人為的な意図のようなものは全くないのにどこか慰められるような、憐れまれているような、そんな感じがするのが、ただ好きだった。

今日は見られないな、と思いながら、先日に観たモネの絵を思い出す。美術館で立ち尽くした、クロード・モネルーアン大聖堂。そう題されたうつくしく特別な絵画のこと。その絵の目の前に歩いて来たとき、陽の当たり方に既視感を感じた。絵の中の建物、その大聖堂はちょうど半分より上がサーモンピンクのような暖色で塗られていた。解説には、「本作品では、午後6時頃の様子が捉えられています。落ちた影が画面を二分し、堅牢な建築物が、夕陽を浴びてバラ色に輝いています。」とあった。なにかに全身を打たれたような心地がした。わたしは、その衝撃のようななにかによって、立ち尽くすしかなかった。(ただ絵を眺めていたに他ならないのだけど、立ち尽くす、という言葉以外であのときの自分を説明することができない。)130年も前に見知らぬだれかが描いたそのひかりの絵と、自分の狭いワンルームの小さな窓から見る特別な景色がゆっくりとつながって、重なるのを感じた。それは、きっと誰とも分かち合えない、とても個人的な、けれど忘れられない、とても特別な瞬間だった。展示室の終わりに展示されていたその絵を、ずいぶん長いこと見つめていた。(その展示室は二周して、二回とも、それまでのどの展示よりも長く、立ち止まっていた。)じっと眺めていると、浮き上がってくる130年前のルーアン大聖堂のイメージ、厳かな建物の壁面が、傾いて色のついた陽光に照らされる、光を浴びて、建物の色が変わる、その感じ。わたしはまだ、フランスに行ったこともない。でも、130年前のモネが見て描いた景色と、わたしが煙草を吸いながら眺めるその景色に、場所と時代以外の大きな違いはないように思えた。絵画の本来の意味や作家の製作意図とは離れたところで、わたしは想起する。絵画から、わたしの個人的な思い出とイメージに染み付いた感情の記憶を、想起する。そのとき絵画は、わたしとは無関係なだれかが遠い過去に書いた絵画ではなくなり、わたしの個人的な経験に組み込まれる。わたしは鑑賞者という暴力的な第三者として、絵画を自身の経験とイメージと重ね合わせ、特別な絵画にする。特別な絵画とは、美術館に飾られた実在する絵画ではなく、わたしという個人を通して観る、別のイメージである。わたしは、このイメージと、この記憶と体験を、大事にしたい。この絵は、わたしを慰めたり、憐れんだりする物語と同じだ。わたしが思い出したい記憶のひとつになったのだ、とそう思う。

昔からモネの絵がとても好きだった。絵画の勉強はあまりちゃんとしたことはないけど、大学に入ってから二度ほど受けた、西洋画をはじめとした絵画の歴史をさらう講義で見たどの絵の中にも、印象派の作家たちの絵ほどわたしを惹きつけ、揺さぶる絵はなかった。何度か展示会にも行っているし、アメリカに行った時もナショナルギャラリーで所蔵の絵を何点か見たけれど、今回のポーラ美術館の展示でははじめて実際に見ることができた絵が多かったように思う。所蔵は13点にも及ぶらしい。これは、今回知ることができて本当に良かったことだ。箱根は決して近くはないけれど、ものすごく遠くもない。行こうと思えば行ける距離にこの絵があることは、わたしのよりどころの一つになるかもしれない、と思った。モネの絵の前に立つと、必ず込み上げるものがある。それはうまく言語化できない感情だ。かなしいような、さびしいような、うれしいような、なにか、としか形容しようがないなにか。渦巻くそれは、時々わたしを涙ぐませもする。うつくしく、柔らかい光の絵画を見るたびに、ああ、出会えてよかった、といつも思う。

ロニ・ホーンの展示もかなりよくて、美術館を出たあと、久しぶりに、指の先まであたたかいものが満ちてゆくような心地になった。緩やかに血が巡ってゆくような、いきいきとした感覚。ロニ・ホーンの作品たちを見て感じたことについてはまたいつか書きたいと思う。

元気?と送られてくるラインに、ちょっとだけ元気になってきたかも、と返すことができて、ここ数ヶ月の自分について思い返す。胸の底がひやりと冷えるような不安や恐怖がなくなったわけではない。唐突に、希死念慮というよりももっとくっきりとした具体的な願望が理性を飲み込もうとする瞬間もやってくる。でも、今日までの生活に散らばるものが少しずつわたしに力を与えてくれているような感じはある。わたしはそれを拾って、確かめて、ときどき忘れて、毎日をちょっとずつ生きている。ちょっとずつ、進んだり、立ち止まったり、蹲ったりしていると一日が終わって、また朝がやってくる。そのなかで、ときどき、夕陽や絵画をきれいだな、と思えたりすると、うれしい、と思う。うれしい、という感情が湧き起こってくることは、やっぱりすごく気持ちのよいことだな、と思う。